アフガニスタン2009/6- 基本情報


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近年、治安が再び悪化しているアフガニスタン。たまにニュースで目にするのは戦闘シーンか国連機関・NGO団体の活動シーンだろうか。私は一般の人々の暮らしや考えを知ろうと撮影旅行を敢行した。現在、観光ビザは発給されておらず、カメラマンとしてビジネスビザで入国。トラブルを避けるため、常に治安情報を現地で確認しながら行き先を決めた。田舎をよく見るための自転車移動は、治安状況や道路事情でかなり制限された。実際には、外国人・異教徒への抵抗感や不慣れのせいで、暴力や盗難に見舞われることもあった。銃口をつきつけられたことは一度だけ。田舎では子供に石を投げられる日々も。ホテルは大きな都市にしかなく、食堂で雑魚寝か、保護された警察署に泊まることが多かった。食事も貧しい。
一方で外国資本が入り、物価は上がりパキスタンの倍近くした。新しい舗装道路や公共施設が日々つくられ、熱心なNGOの支援活動も目の当たりにした。治安の良い地域では着実にインフラが改善されているように見えた。


以下、(本などによる)事前情報などに対する、現地の印象を紹介したい。
(たかが一部を訪れた者の私見であり、間違いがあれば指摘して頂きたい。)

◆大統領選挙(8月)の選挙結果
不正もあった中、10月にようやく得票率が確定した。結果(1位カルザイ氏49.67%、2位アブドラ氏30.59%)は多くの人が予想できた通りだったと思う。一言でいえばカルザイ氏が多数派のパシュトゥン人であったからだ。

現地では、大統領選キャンペーン期間になると、40人以上の候補者のポスターが町の至る所に貼られ、それぞれにひいきの候補者を口にしていた。しかし、どこの支持者に理由を聞いても「正直だから」「我々の英雄だから」と答える程度で、候補者を正しく理解・比較して説明できる人はほぼ皆無であった。私が訪れた州ではPanjshir、Kondoz、Takhar、Badakhshanなどの北部でアブドラ氏の支持率が圧倒的に高かった。今は亡き英雄マスード(非パシュトゥン人では未だに絶大的に人気がある)と結びつける人が多く、テレビCMでも演出されていた。そうした中で「結局はパシュトゥン人候補者のカルザイが勝つ」「誰が勝っても汚職をする。それなら(すでに汚職をし尽くした)現大統領カルザイが続ける方がまし」「アフガン人は汚職をするので、外国人に統治してもらう方が良い」という冷静な意見もあった。
世界汚職ランキングでアフガンは下から2位
結局、米国などが推していたアブドラ氏は決選投票を棄権し、カルザイ氏の再選が確定した。(本日11月19日にカルザイ大統領の2期目の就任式が行われている。)

◆民族によるスタンスの違い
アフガニスタンはパシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの多民族国家である。パシュトゥン人は多数派(4割ほど)で常に優位であった。「アフガニスタン」は「アフガン人(パシュトゥン人)の国」という意で他民族はよそ者という意識がパシュトゥン人にはある。もともとタリバンはパシュトゥン人であり、タリバン政権を倒したのはタジク人、ウズベク人ら少数派の民族たちだ。ニュースなどで「タリバン時代の方が治安が良かった」と話す人たちはパシュトゥン人に多いのではないかと思われる。(もっとも米軍に誤爆された本人は誰でもそう言うかもしれない・・・)
あるパシュトゥン人に治安が良い地域を聞いたら、(タリバンとの戦闘中であるがパシュトゥン人が多い)南部の州をあげて驚かされることもあった。他民族ではありえない。
以前から被差別民族であるハザラ人(バーミヤンなどの山岳地域に多い)は今でも失業者が目立った。
一方、10歳くらいの子に「どの民族か?」と聞いたとき、「(民族は関係ない。)我々はアフガン人だ」と答えられて感銘を受けたことがある。また、地方でも(2001年以降に教育を受けて)英語が話せる若者は、NATOや国連機関、NGOなどで通訳として活躍するものも多い。彼らは欧米スタイルの文化・考え方に慣れ親しみ、新時代のアフガンを予感させた。


◆女性がチャダリをかぶる習慣
本などでも、①タリバンが支配する以前は女性が被っていなかった(タリバンが強制させた)、②もともとの伝統であり、厳しい日差しを遮るなど利に適っている(多くの女性は好んで着ている)、等と異なる意見があったので関心があった。結局、①に関しては、もともと被っていたが(西洋文化を吸収しやすい)都市部では被らなくなり、確かに以前は洋服の女性もいたようだった。地域差・民族差はあるが地方ではタリバン以前も被っていたという。②に関しては、チャダリは砂塵には有効だが、夏場は暑すぎる。(伝統や体裁は別にして)自ら被りたいという女性は殆どいないだろう。実際に、男性とすれ違うときだけ頭まで被って顔を隠し、過ぎると顔を出して歩く光景をよく見かけた。普段の手足・頭を隠すムスリム女性のスタイルの上にさらにチャダリは本当に辛そうだった。

現在、外でのチャダリ着用率は、カブールでも7割くらい、地方では8割を超えるという印象だった。ハザラ人には着ない人もけっこう見かけたし、地域・民族でも異なる。学校の先生などの専門職や学生を除けば、基本的には着用していると言って良いと思う。オフィスや病院などの公の場で脱いでいる女性も、屋外や敷地の外では着る傾向が強い。地方は農作業などするために被らないとも事前に聞いていたが、(部外者から目に付くところでは)農作業をするのも男性ばかりで女性はあまり見かけなかった。庭での作業、近所への水汲みなどで被らなくても、それ以外で出かけるときにはきっちり被っているという具合だった。
結局、多くの地域でチャダリ着用が習慣になっていて、世間体などもあり家族以外のムスリム男性の前で顔を出すのに抵抗がある、と考えるのが妥当だと思う。時間はかかるが、都市部では徐々に被らなくなると思われる。


◆反欧米意識
地方では警察官ですら、タリバンをアメリカが裏で支援していると信じている人が少なくない。(私は、米兵の死傷者数自殺者が増えている現況を考えると、それはないだろうと思っている。)教育を受けた連中は米国を嫌いであっても、そうしたことは言わない。一般には、外国の軍隊がタリバンを追い払ってくれたという認識もあるようだ。
田舎では、欧米のNGOが行う支援をキリスト教徒の布教として受け入れないところもあるようだ。実際、外の世界に触れた女性が隠れキリシタン化する例も見られた。キリスト教団体の支援が結果的に(彼らの価値観を変える)布教となりえるのは止むを得ないとも私は感じた。(村の掟やイスラムを過激に解釈することで、「村で外国人を見たら投石すること」も正当化する人たちがいるのだ。そうした中では支援もできない。極端な例だが、彼らの価値観を変えなければ支援できない現実に直面しているNGOスタッフたちもいるのである。)
一筋縄ではいかないだろうが、イスラムの濃いアフガン人がどう受け入れ、どう変わっていくのかは興味が尽きない。

一方で、「日本は米国に負けてから、なぜ経済発展できたのか?」「アフガンもどうすれば日本のようになれるか?」と聞かれることが多かった。もともとの経済力、民族構成の複雑さ、宗教や国民性など土台となるものが違うので、簡単には答えられない・・・。とにかく彼らにとって日本は好印象であった。アフガンを走る自動車はほぼトヨタの中古車である。乗用車の殆どがカローラ(乗り合いミニバスはハイエース)であり、もはや一般名詞のように呼ばれていた。(なぜかパトカーだけ米国フォードである。)




■期間 2009/6/27 - 2009/8/5

-----以下、パキスタン、アフガニスタンを通しての情報-----
■期間 2009/6/8 - 2009/9/7
■費用 滞在費¥85,000
      ※航空券(ペシャワール⇒カブール)¥23,000、盗難紛失¥15,000を含む
     往復航空券¥107,940 ※現地出国税等を含む
■カメラ機材
ボディ  Canon EOS5D MarkⅡ ※バッテリー5個、CF計144GB、充電器
レンズ  EF24-70 F2.8L USM
      EF75-300 F4-5.6 IS USM
ストロボ 580EX Ⅱ
■プリンタ
  Canon SELPHY CP750 ※バッテリー2個、専用インクカセット・用紙200枚分
■折り畳み自転車
 コーナンの安物¥8,800 ※パンク修理一式、ポンプ、チューブ2個、キャリアバッグ
■資料
      地図(Afghanistan)、語学本(ダリー語、2冊)
■その他
      変換プラグ、延長コード など

2009/6/27 カブールの現在


空港の入国審査は拍子抜けするくらいに何も聞かれずスタンプを押されただけだった。パキスタンよりよほど緊張感がない。街まで自転車で数キロを走った。(パキスタンは日本と同じ左側走行だがアフガンは右側。市街地中心部でも未舗装や工事中箇所も未だにあったが、街と空港をつなぐ道路は見事に舗装されていた。)写真は空港付近の町並み。



弾痕の残る建物。



街の若者は洋服が多い。パキスタンよりずっと垢抜けている。



タジク人のTamimさん。父親の経営するネットカフェに案内してくれた。1日100US$の売り上げになるそうだ。



Tamimさんの友人。

2009/6/28 Char Rahi Sari Chowk周辺


Char Rahi Sari Chowk周辺には大きなバザールがあり、安いチャイハナ(泊まれる食堂)も多い。治安が良くない地域だがUS$6で泊まることにした。(カブールでは安いホテルもUS$20~30くらい。周辺国に比べれば物価は高いのだ。) 写真はチャイハナからの風景。



チャイハナのスタッフ、Ishakさん(30歳)とMuep君(14歳)。






鏡・ガラス屋のFridnさん(44歳)。息子Elhamjan君(6歳)はすでに婚約者がいるそうだ。



音楽に合わせてアイスの入った容器を動かし続けるAidarさん。かなり力のいる労働だ。



チャイハナからの夜景。



山の中腹に並ぶ家々の明かりがキレイだった。




2009/6/28 地下街の商人たち


雑貨を売るYasinさん。テレビなどのリモコンが40Af(US$0.8)で売っていた。(SONYやSHARPの日本製が多い。SUNYというのも。)






体重を量らせて金をとる商売をするAhgiさん(写真右)ら。

2009/6/28 カブール川沿いで生きる人々


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川沿いには庶民のバザール(というか露店)が集まり、多くの人で賑わっている。川では売り物になりそうなゴミを探す子供たちが目立った。



拾ってきたパーケージ(商品の空箱)に別の似た商品を入れて売る少年たちをよく見かけた。この一帯は治安が悪く、警官がとても多い。外国人が歩く雰囲気ではなく、思い切ってカメラを出すもすぐに警官に「撮影するな」「しまえ」と言われた。(「そんな高価な物を出すと盗難に遭うぞ」という意味合いもあるようだ。)

こうした地区では、停車中や低速で走行中の自動車に貧しい少年が張り付き、喜捨をもらえるまで走行の邪魔をする光景をよく目にした。警官は注意・警告の笛を鳴らしたりはするが強制排除はしない。私も強盗まがいの少年たちにしつこく付きまとわれたが警官は見てみぬふり。格差が大きい社会では、物乞いはもちろん盗みも生きる術として容認されているかのようだ。実際、それで何とか暮らす戦争孤児らも少なくないのだろう。



小豆売りのYasinさんと、ビニール袋売りの少年。



ジュース売りのAlmosさん(20歳)。



ジャララバード出身のNul Rahmanさん(写真右)。スプーン、フォーク、フライパンなどを売っている。



チャダリの女性に商品を売るKodratolaさん。グラス(20Af(US$0.4))とスプーン5本(120Af)が売れた。









Muhammad Zeaさん(撮影拒否)が売る蚊・ハエ殺虫スプレー(50Af)。中国製が多い。



夕方、Nul Rahmanさんの店に戻るとすでに片付け済み。警察が廻ってきて、皆逃げるように店仕舞いをしていた。



商売道具は橋の下に運び込まれていた。



礼拝をするAbibさん。

2009/6/28 丘の上で暮らす人々


8/5撮影。テレビ電波塔があるアスマイ山に張り付くように建ち並ぶ家々。カブールの丘には不法住居が多く、低所得者たちが住んでいる。



アスマイ山の北部にあるDhi Afghanan村を訪れた。部外者が入る雰囲気ではなく緊張した。写真のTahelさん(アンティーク売り、25歳)に「ここはハッシーシ(大麻)をする者が多く、治安が悪い。すぐに街に下りるように」と注意された。

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石を片手に「うちに遊びに来い」と脅してきた若者。Tahelさんが声をかけてくれて助かった。



下山途中に寄った商店。はじめは柄の悪い連中で気を遣った。






Muhammad Taherさんと息子のMustafaちゃん(2歳)。



商店を経営するJanqkhさん(48歳)。

2009/6/28 カブールでの情報収集


マザリシャリフ行きのバスチケットを探しにバスステーションへ。その前で少年と自動車の接触事故を目撃した。怪我もなく、飛び出した少年をドライバーが叱って去っていった。



英語を話せる人がいそうなSpinizerホテルへ。Muhammad Nasimさん(写真)やホテルスタッフからパキスタンへの帰路について情報収集。(イスラマバードまでの空路はUS$100程度でKam Air、Pamir Airways、Safi Airwayなどが運行していると聞いた。実は、現在ではPIAのUS$240のみが唯一運行していることが8月に戻ってきたときに判明し、空路で帰れなくなってしまう・・・。)



8/29撮影。翌朝3:30起きで、マザリシャリフをバスで目指す。ヒンズークシ山脈を越えるサラン峠(標高2,676m)は氷雪が残っている。(この峠もあり自転車移動を避けた。)



8/29撮影。このバスで出会ったFarshidさんと親しくなり、マザリシャリフでお世話になることになる。