旅だより~ 2010/3/3 カラチのヒジュラ

おもに南アジアにいるヒジュラ。乱暴に一言でいうとオカマだが、特にイスラム圏では、男性なのに女装しているので恥じながら暮らしているのだという。
一般の仕事には就けず、ダンスショーなどで生計を立てている。街で物乞いをする者もいる。通常、家族とは絶縁し、ヒジュラ同士でコミュニティを作っている。

グループのグル(リーダー)のShama(50歳、写真左)を母と慕うAnjlee(23歳)。カラチでは一回のダンスショー(土曜夜から日曜朝まで)で一人5,000~10,000Rs(約5,300~10,600円)も稼げるのだそうだ。

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旅だより~ 2010/3/5 Khuzdarの治安

バロチスタン州はおもに南西部にバローチ人、東部にパシュトゥン人が分布している。州都はクエッタだが、パシュトゥン人も多く、バローチ人の中心地はKhuzdarだという人が多かった。バローチ人にとって、資源豊富なバロチスタンはパンジャブ人(政府)に搾取・支配されていると考えている人が多い。とくに独立運動の盛んなKhuzdarでは治安が悪く、3/1には大学内で爆発テロがあった(4人死亡43人負傷)。私が滞在中にも市場でパンジャブ人2名が銃殺されてる(3/6)。「この町では(パンジャブ人の話す)ウルドゥ語を話すなよ。(話すと)殺されるからな・・・」という冗談(?)を何度か聞いた。

3/7撮影、Runda Bazarにて。アフガンのカズニ出身のMuhammad Zaher Khanさん(35歳、写真中央)。

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旅だより~ 2010/3/12 パシュトゥン相撲

クエッタのAyub Stadiumでは毎週金曜日(イスラムの休日)に、クリケットやホッケーなど人気スポーツが催されている。中でもパシュトゥン人だけが熱狂しているのがGhazaというパシュトゥン伝統のレスリングである。一見、柔道にも似ている。相手を倒して背中が地面に着いたら1点で、ひとつの取り組みで2点取ったら勝者となる。勝者は誇らしげに、敗者は悔しそうにリングを去っていく。


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旅だより~ 2010/3/13 クエッタのゴミ拾い業

クエッタのSandhi Stにあるゴミ交換所にて。大きな袋を担いだ少年や大人が一日に何度も訪れる。交換率は、1kg当たり5Rs(約5.3円)。ものすごく安いと思ったが、それでも1日に300Rs以上も稼ぐ人もいる。ゴミ拾いで生計を立てる彼らにとっては立派な生業であり、物乞いとは違うプライドを持っている人が多い。(一般に物乞いの方が楽に稼げる。)


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旅だより~ 2010/3/16 国境の町 Chaman-Spin Boldak

クエッタ(パキスタン)・カンダハール(アフガニスタン)間の国境の町には、多く現地人と輸出入のトラックの列で溢れている。私が昨年に越境したTorham(ジャララバード・ペシャワール間)同様、地元のパシュトゥン人はパスポートもビザも関係なく、自由に国境を行き来している。(入国・出国管理所へ訪れる者は100人に一人もいない。)
元をたどれば大英帝国がパシュトゥン人居住地域を分断するように引いたアフガン・パキスタン国境線(デュランドライン)に多くの問題の元凶がある気がしてならない。


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旅だより~ 2010/3/17 カンダハールの治安

外国軍がタリバン掃討作戦を繰り広げるヘルマンド、カンダハール。アフガンのテレビでも、戦闘シーンのニュースばかりを目にする。私がカンダハールに着いた前日(3/15)には8カ所でテロ事件が起き、そのうち警察本部での爆発事件は35人が死亡、53人が負傷したそうだ。

3/16撮影。国境からカンダハール市内へ向かう幹線道路を巡回する軍事車両。軍が通る間はどの車も道路わきに停車する。


市街地にも2001年の米軍による空爆で崩壊しかかったままの建物も少なくない。写真の建物の上に見える白い飛行船は、軍によるカメラで重要保護地区を警戒している。カブールでも見られた。


写真の右手には空爆跡の空き地が駐車場に利用されていた。


Kabul Bazarにて。鶏一羽を300~500Af(約560~930円)で売るBaki Janさん。1日に500Afの利益になるそうだ。


Char Suqの両替商。現在の換金レートは1US$=48.5Af。(昨年6月は50Af、8月は48Afであった。)

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旅だより~ 2010/3/22 ドバイの出稼ぎ労働者

ドバイでは地元の人より出稼ぎに来ている外国人を圧倒的に多く見かける。イスラム諸国やインドのほか、フィリピンやアフリカ出身の人も目立った。私が部屋を借りたHor Al Anz(Deira市)ではパキスタン人、インド人、バングラデシュ人が多く、ウルドゥ語がどこでも通じるのだそうだ。
周知のとおり、現在のドバイの景気は良くない。「2年前くらいから不景気で、仕送りできないからたくさんのビジネスマンは自国へ帰ってしまった」そうで、残っている出稼ぎ労働者も職を失った人が大勢いる。帰国したくても帰る金もなく困っている人も少なくない。

80年代後半から5年間、日本で働いていたこともあるAliさん(写真右)はドバイに来て9ヶ月になるが、いまだに仕事がない。ドバイの物価は高く、1ヶ月の生活費は最低1,000DH(約25,000円)はかかるという。Aliさんの場合、家賃に400DH(家賃3,000DHの約10畳の部屋を8人でルームシェア)、食費(自炊中心)に400DH、その他(交通費など)で200DHだそうだ。これらの全てを本国からの仕送りに頼らざるを得ない現状である。
一般の出稼ぎ労働者は、ドライバー志望が圧倒的に多い。清掃業、建設業などに従事するいわゆる肉体労働者は、月給1,000DHほどの低賃金で、満足な仕送りはできないそうだ。(技術・専門職のエンジニアであれば10,000DH以上になるようだ。)

こうした事情で、運転免許さえあれば、タクシー運転手などの雇われドライバーで2,500~3,000DH、自分の自動車があれば、個人で4,000DHくらい稼げるそうだ。(普通自動車の値段は中古車で10,000DH~、新車で40,000DH~)
Aliさんは一週間前にようやく運転免許試験に合格した。ドバイで免許を取得するのにはかなりの費用がいる。Aliさんは6,000DH(約15万円)かかった。あとは免許を受け取る経費300DHが支払えずに母国からの送金を待っている状態だ。
彼の部屋にいる8人(パキスタン人6人・インド2人)のうち5人はドライバーとして働き、残りの3人は無職だ。(全員ドライバー志望)

Aliさんは日本では服飾の裁断の仕事をしていて、住み込みで30万円くらい稼げたという(当時はかなりの好景気)。「ニホンのシゴトはよかったです」とカタコトの日本語で懐かしんでいた。

世界一の高さを誇るブルジュ・ドバイ(正式名称は、ドバイショック後に資金援助をしたアブダビ国王の名を付けたブルジュ・ハリファに変更)、3/21撮影。周辺で土木作業をするインド、パキスタン出身の労働者たち。ドバイの発展は、低賃金で働く出稼ぎ労働者たちに支えられているのだろう。

多数を占める外国人労働者とどう向き合うか。人口が減少に転じ、労働力不足が心配される日本も決して他人事ではないと思えた。

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