パキスタン2010/3- 基本情報

Googleマップ


より大きな地図で パキスタン2010/3 を表示

前回2009年に訪れた北西辺境州(NFWP)同様、部族地域が残るバロチスタン州。治安も悪化しているので(今後もっと訪れ難くなるので)今回は真っ先に訪れた。そこでは今まで以上に民族間の格差、軋轢を意識させられた。
一般に待遇の悪いバローチ人は主要民族であるパンジャブ人を敵視している。独立運動も盛んだ。逆に、パンジャブ人は「教育された人材の乏しいバローチ人だけで独立して何ができるのか」と排他的なバローチ人に対して冷ややかな反応が見られた。(バローチ人の教育水準は低い。パンジャブ人の教師は嫌悪されるので、教師不足の原因になっているとも聞いた。)
関連記事「旅(2010春)の雑感」
関連記事「旅だより~ 2010/3/5 Khuzdarの治安」

また、北部の州都クエッタ(Quetta)ではパシュトゥン人も多い。彼らの文化・言語はアフガンのカンダハールと同じであり、同じパシュトゥン人でもペシャワールとは大きく異なっていた。
(例えば、ペシャワールでは「パシュトゥン人の飲み物 = カワという緑茶」であったのに、ここでは「カワ」は紅茶であったのには驚かされた。昨年ペシャワールで覚えたカタコトの現地単語も役に立たないことも多かった。)

■期間 2010/3/1 - 2010/3/16
3/1 - 3/3Karachi(カラチ)
3/4Bela
3/5 - 3/8Khuzdar
3/9 - 3/14Quetta(クエッタ)
3/15 - 3/16Chaman


-----以下、パキスタン、アフガニスタン、UAEを通しての情報-----
■期間 2010/3/1 - 2010/4/27
■費用 滞在費¥42,400
      内訳 パキスタン(3/1 - 3/16、3/23 - 4/27) ¥27,000
          アフガニスタン(3/16 - 3/20)     ¥1,200
          ドバイ(3/20 - 3/23)        ¥14,200
 
     現地航空券¥42,000
      内訳 カンダハール⇒カブール ¥5,600
          カブール⇒ドバイ     ¥18,900
          ドバイ⇒イスラマバード ¥17,500

     往復航空券(羽田 - カラチ)¥103,640 ※現地出国税等を含む
■カメラ機材
ボディ  Canon EOS5D MarkⅡ ※バッテリー5個、CF計144GB、充電器
レンズ  EF24-70 F2.8L USM
      EF75-300 F4-5.6 IS USM
ストロボ 580EX Ⅱ
■プリンタ
  Canon SELPHY CP750 ※バッテリー2個、専用インクカセット・用紙200枚分
■ノートPC
      Aspire Timeline 4810T ¥50,900
■資料
      地図(Afghanistan)、語学本(ダリー語 2冊、ウルドゥ語 1冊)
■その他
      変換プラグ、延長コード、カードリーダー など

2010/3/1 Karachi到着


Googleマップ


より大きな地図で パキスタン2010/3 を表示

カラチにやってきた。人口1500万の巨大都市だ。市の中心のショッピング街、安宿街であるSaddar地区中心に滞在しただけだが、似たようなショッピング街は四方八方、至る所にある。おそらく新しい商業複合施設以外は、屋台売りを中心に小店舗が連なるバザールで、都会というより大きな街(町)という印象だった。とにかく人の数が尋常ではないのは確かである。日中、すでにKarachiは夏のように暑い。都市は苦手だ。ここでの目当てもなく、情報収集をして過ごした。



空港からSaddarまではタクシーで50Rs。(相場は200-300Rs。空港近くの道路でバスを待っていたら、たまたまSaddarへ行くパシュトゥン人のタクシーを見つけて、格安で乗れた。途中の検問で、警官に不必要に財布の中身を見せろ、と迫られたが断固拒否した。)
写真は、Empress Market前に集まる屋台。3/2撮影。



3/2撮影。Saleemさん(写真左、42歳、パンジャブ人)のスカーフ屋にて。英語教師という中年のムスリム女性に英語で話しかけられた。田舎なら女性を目にすることも少ないが、Saddarでは女性だけで買い物をする姿が目立つ。インド系をはじめ非ムスリムの人もよく見かけた。



3/2撮影。スカーフを縫っていたHashem君、15歳。午前中のみ学校へ通っている。



3/3撮影。靴屋のAsifさん。英語が話せ、博識。(昭和天皇の名「ヒロヒト」も知っていた。)
この界隈では小さな店でも月の売り上げが40,000Rs(約4,2500円)くらいだそうだ。(大きな店は100,000Rsなど。)



3/3撮影。服屋で働くFarad君(写真左)。Saddarでも国民服(シャルワール・カミーズ。写真右や最初の写真)の着用率は半分以上だったが、それでも随分、洋服姿が目立った。



3/3撮影。やや高級な服を売るWakas君(22才、パシュトゥン人)。
バザールを案内してくれた。

※ 画像をクリックすると拡大します。



2010/3/3 カラープルのヒジュラ


Saddarでは「ヒジュラをよく見かける」と地元の人から聞いたが、私はなかなか出会うことがなかった。結局、彼らのコミュニティがある地区へこちらから出かけてみた(関連記事)。
カラチ・カントメント駅から少し東へ行ったところにあるカラープル。写真は線路で遊ぶ子供ら。

4月下旬、カラチに戻ってきたときには、Saddarで何人かのヒジュラを見かけた。やはり決して貧しい格好ではないが、停車中の車や店に声をかけて堂々と金をせびる者が少なくなかった。女性の物乞い(主にインド系)も多いが、ヒジュラの体格はやはり男のそれであった。



カラープルのヒジュラ。グル(リーダー)のShama(50歳、写真右)と、グルを母と慕うAnjlee(23歳)。若いAnjleeは、撮影の前に髪をとかしたりと仕草が女の子そのものであった。
(それにしても、私の見かけたヒジュラは皆、男以上にたくましい腕をしていた。)
彼女らのグループは5人で2つの家(というか簡素な1部屋。この地区は線路脇のバラック小屋が並ぶ貧しい集落)で暮らしているらしい。
カラチでは一回のダンスショー(土曜夜から日曜朝まで)で一人5,000~10,000Rs(約5,300~10,600円)も稼ぐ。結婚式などのイベントの余興として呼ばれることもある。
こうしたショーは大きな都市に集中するので、ヒジュラは田舎では見かけない。



この集落に住むFaheen Ahamadさん(写真右)。ジンダピール(ヒジュラがいるとSaddarで言われた場所)で出会い、案内してくれた。



彼女ら2人とも性転換手術はしておらず、体はオトコである。(Shamaはブラジャーを外して自慢げに胸を見せてくれたが、男にしては・・・という程度で、さらに出ていた腹の方が目立っていた。)
一般にはイスラムでは女装の彼らを自他共にさげすむとも聞いたが、実際にはそうでもない。婚前に女性と接することがないので、女性のように綺麗に化粧をしたヒジュラは人気がある。ヒジュラが接待する店もあるそうだ。写真は、ShamaとポーズをとるMuhammad Arshidさん(Faheen Ahamadさんの友人)。



この他、まるで恋人のようなポーズをいくつか見せてくれた。


※ 画像をクリックすると拡大します。



2010/3/4 Belaのガソリンスタンド


Googleマップ


より大きな地図で パキスタン2010/3 を表示

カラチからバロチスタン州へ。ミニバスでBelaに着いた(3.5h、160Rs)。町というか村で、当然、宿もない。食事をとった後、トラクターで幹線道路沿いのガソリンスタンドへ向かった。



写真はガソリンスタンドの人々。周囲に家屋すら見当たらない田舎では、ガソリンスタンドは重要な存在だ。食堂のほかモスクまで併設されている。経営者の弟で店を手伝うShabbirさん(写真左、18歳)らと話したり、クリケットをしながら、先へ行くバスを待った。
経営者ら兄弟はChaman(クエッタ(Quetta)の先、アフガン国境の町)の出身で、私が訪れることがあれば案内してくれると言ってくれた。



Shabbirの兄Bshir Ahmadさん(写真左から2人目、28歳)ら。この日の午後はバスが通らず、併設の食堂「Chaman Balochistan Restrant Bela」の2階にあるNazirさんの部屋に泊めてもらうことになった。



ここでのガソリンの公式価格は80Rs(85円)/L(ディーゼルは72Rs/L)。実際には、バロチスタンではイランからの不法輸入が盛んで、税がかからない価格60Rs/Lで出回っているそうだ。(カラチでの価格は40~50Rs/Lだと聞いていた。)



食堂の奥でチャパティを焼くAbdullahさん(写真左)ら。



ハッシーシ好きなSarafaさん(写真左)。犬の物真似など芸達者な人であった。

※ 画像をクリックすると拡大します。



2010/3/5 Khuzdarまでのトラック


翌朝も道路沿いでバスを待つも、止まってもくれない長距離バスが1台通り過ぎただけだった。幹線道路と言っても1分に1、2台の車が通る程度である。どんな車にも手をあげてアピールをし始め、ようやく止まったトラックをヒッチハイクすることができた(11:00)。トラックは荷物を積んではいないが時速50km以下で常に上下に揺れて走る代物だ。



言葉は通じないがお世話になった親切なドライバーたち。写真左からNedar Ahmadさん、Bachaさん、Ahmadさん。15:00ごろ食堂を見つけて昼食をとった。



この先に大理石の産地があり、写真のように石を運ぶトラックをよく見かけた。私の乗ったトラックもそこへ積みに行くようだった。乾燥していて緑や農地もあまり見かけない。燃料にする枯れ木が売られている程度の貧しい地域だった。一方で地下資源は豊富である。治安が悪くて海外の資本が入れず、未開発の地域も多いらしい。



この幹線道路も舗装工事中の道路が目立ったが、「これらは住民のためではなく、資源をカラチやクエッタ(Quetta)に運ぶルートを政府が整備している」のだそうだ。



16:30、Khuzdarに着いた。宿が数軒ある道路沿いでトラックを降りた。
(運賃も頑として受け取らない、親切な人々であった。)
写真中央には、イスラムの宗教色が濃い政党Jamaatの旗(白黒ストライプ)。

Googleマップ


より大きな地図で パキスタン2010/3 を表示



町で声を掛けてきたMuhammad Khan(写真右から2人目、24歳)の家へ訪れた。彼は地元で有名な(?)「危険人物」だそうで、イスラムで禁止されている酒を平然と飲んでいた。私はイスラム圏で初めてビールを飲んだ。
(他の友人たちは少なくとも人前では飲んでいなかった。) 彼の腹部には大きな手術の痕があり、「テロに巻き込まれた」と言っていた。

※ 画像をクリックすると拡大します。







2010/3/6 宗教政党Jamaat Islami


英語は話せないが親切なFateh Muhammadさん。彼に職業を尋ねたら、黙ってモスクのあるTameer Nau小学校へ連れて行かれた(写真)。 何かと思ったら職業(ウルドゥ語で「ペーシャ」)と小便(「ペーシャーブ」)を誤解されて、トイレのある場所に案内してくれたのだった。



おかげで、宗教政党Jamaat Islamiで活動するJawid Mansuriさん(23歳)に色々と話を聞くことができた。

Jamaat IslamiのメンバーはKhuzdarに25人いる。バロチスタン人にとっては、パシュトゥン人居住区も多い州都クエッタ(Quetta)よりもここKhuzdarが(反政府活動なども含めて)中心地なのだそうだ。「Jamaat Islamiは政党ではなく国際組織」と強調し、パキスタンの政党は自己利益ばかりだと批判していた。
「10年前はKhuzdarも治安が良かった。資源目的やパキスタンを安定させたくないインドやアメリカ、イスラエルの諜報機関・テロリストによって悪化した」と言っていた。真偽はともかく、5年前にムシャラフ(前大統領)が市民の武器を没収した後も、治安は不安定なのは確かである。
(Jamaat Islamiは決して多数派ではないが、現地人でよく聞かれた意見も同様であった。)



Jawidさんは、このTameer Nau Public Schoolの教師でもある。
50人ほどの生徒が住み込みで学んでいる。多くは地方の村の出身だ。少ないが女子もいるそうだ。写真は、教室を案内してくれたイフティハール・アハマッド君(写真中央手前)ら。



裏庭ではトマトなどの野菜を育てていた。



Jamaat Islamiが発行する今日の新聞が届き、真剣に見入るJawidさんとメンバーたち。

そのとき、「近くの市場で銃撃戦があり、パンジャブ人2名が射殺された」という情報が飛び込んできた。
3/1には近くの大学Balochistan Engineering Universityで爆発があったばかりだ。(街で聞いた情報をまとめると、大学のイベントで一つの出し物が終わった直後に爆発したらしい。大勢の学生が集まっており、4人が死亡、43人が負傷した。)

こうした事件も新聞によっては載らなかったりする。Jawidさんによれば、「どの新聞・ジャーナリストも所属する政党がある」そうで、自分たちに都合の悪いことは報道しないのが現状なのだそうだ。(もちろん、日本を含めた先進国でも、程度の差こそあれこうした傾向はある。我々は世の中の出来事をメディアを通して知るのだから、メディアが取り上げなかった事実は「無かったこと」と同じになるのだ。)

「大学を見たい」とJawidさんに申し出ると、すぐに知人の大学関係者に電話で頼んでくれた。しかし、治安が悪いため許可されなかった。市場は「銃撃事件のせいで店が閉まっている」と言われて、宿へ戻らされてしまった。



Jawidさんの赤ん坊の面倒をみるワシーム君(写真左)ら。



お菓子をほうばる生徒。

※ 画像をクリックすると拡大します。




2010/3/6 Khuzdarの人々(1)

市場での発砲事件(パンジャブ人2人死亡)のあった午後、一人で街に出た。「珍しいことではない」ので多くの店は普段どおり営業していた。



宿から近いエンジン修理屋にて。6人の従業員がいる。パシュトゥン人だ。多少の英語が話せるSanah Ullahさん(22歳、写真右)によれば、こうした小さな店の収益30,000Rs/月(大きな店は100,000Rs)でスタッフの月収は3,000Rs(約3180円)にしかならないそうだ。



少年工のAjabgul君、12歳。午前は学校に行っているそうだ。



マスター(師匠)のGulam Muhammadさん。



ペンキ塗装業のAlmansurさん(32歳)。名刺をくれた。日本に友人がいるそうだ(名はムラヤマさん)。塗装料金は、車のナンバープレートが200Rs、1㎡ほどの看板が400Rsが相場だそうだ。



小麦粉の製粉屋のDoor Muhammadさん。自分で製粉機の臼を修理していた。月に50,000Rsも稼ぐそうだ。



その隣で小麦の卸売り業をするAmboさん。25Rs/Kgで買い上げ、26Rs/kgでクエッタ(Quetta)で売っている。一袋は100Kgなど。



宿の1階の食堂には地階に個室があり、夜Sanah Ullahらパシュトゥン人の若者がゲームをして遊んでいた。(Chakkaという複雑な双六のようなゲーム。)
彼らは「バローチ人は野蛮で、Khuzdarではパンジャブ人や外国人には危険。早く去った方が良い」と言っていた。

彼らによれば、パシュトゥン人の割合は、Khuzdarで30%、クエッタで90%と言っていた。(とくにクエッタの数字は誇張されているが、実際に市場の店主など街ではパシュトゥン人が多いのは確かである。)

※ 画像をクリックすると拡大します。