アフガニスタン2010/3- 基本情報


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前回2009/6~8に北部(おもに非パシュトゥン人地域)を見て回ったアフガニスタン。今回は南部(パシュトゥン人地域)を訪れようと思っていた。実際には、南部の中心都市カンダハールに短期滞在しただけで出国を余儀なくされた。
アフガン警察に保護されることは毎度のことだが、パキスタンから陸路で入国したことで、「パキスタンからのテロリスト」という疑いで逮捕されて取り調べられた。去年と違うのは、疑いが晴れてもそのまま解放されず、3日間の軟禁後にカブールに飛ばされた。
もちろん、カンダハールがタリバンの中心地であり、米軍などが展開する掃討作戦の拠点であるので、仕方ない。彼らの対応は適切であっただろう。

※カンダハール滞在の感想などはこちらをご覧下さい。
関連記事「旅(2010春)の雑感」
関連記事「旅だより~ 2010/3/17 カンダハールの治安」
関連記事「アフガニスタン2009/6- 基本情報」(前回、北部を訪問したときの印象など)


■期間 2010/3/16 - 2010/3/20
3/16 - 3/20Kandahar(カンダハール)
3/20Kabul(カブール)


-----以下、パキスタン、アフガニスタン、UAEを通しての情報-----
■期間 2010/3/1 - 2010/4/27
■費用 滞在費¥42,400
      内訳 パキスタン(3/1 - 3/16、3/23 - 4/27) ¥27,000
          アフガニスタン(3/16 - 3/20)     ¥1,200
          ドバイ(3/20 - 3/23)        ¥14,200
 
     現地航空券¥42,000
      内訳 カンダハール⇒カブール ¥5,600
          カブール⇒ドバイ     ¥18,900
          ドバイ⇒イスラマバード ¥17,500

     往復航空券(羽田 - カラチ)¥103,640 ※現地出国税等を含む
■カメラ機材
ボディ  Canon EOS5D MarkⅡ ※バッテリー5個、CF計144GB、充電器
レンズ  EF24-70 F2.8L USM
      EF75-300 F4-5.6 IS USM
ストロボ 580EX Ⅱ
■プリンタ
  Canon SELPHY CP750 ※バッテリー2個、専用インクカセット・用紙200枚分
■ノートPC
      Aspire Timeline 4810T ¥50,900
■資料
      地図(Afghanistan)、語学本(ダリー語 2冊、ウルドゥ語 1冊)
■その他
      変換プラグ、延長コード、カードリーダー など

2010/3/16 国境の町(アフガン側)~Spin Boldak


パキスタン側のChamanから国境を越えた。同行してくれた警官に別れを告げ、ここから晴れて自由の身である。地元のパシュトゥン人はパスポート・ビザがなくても素通りできる。
(関連記事)



荷物を担いで歩いていると声をかけてくれたObaid Ullahさんに誘われて、道路沿いの市場で休憩した。写真は、市場にいた子供たち。めずらしく照れ屋さんであった。






Obaid Ullahさん(写真右)の中古PC屋。日本にいる弟Ahmad Shaさんが日本製中古ノートPCを買い付け、こちらで売っているそうだ。1台およそ10,000Rs(約10,600円)くらいの値が付くそうだ。
ここには家電をはじめ多くの製品が集まっている。おそらくほぼ全てがパキスタンに持ち込まれるのだろう。パキスタンの高い関税をさけ、アフガン経由で違法に持ち込んでいるからだ。

例えば、アフガンなら日本から1,000ドルの値で輸入できる中古自動車は、パキスタンなら関税で4,000ドルもとられ、5,000ドルに膨れ上がってしまう。もちろんアフガンからパキスタンに正規に輸入すれば、同様の関税がかかるのだが、多くは税関をごまかしてパキスタンに持ち込み、国内で販売するのである。パキスタンでは多くの輸入品はアフガン経由なのだそうだ。

国境ゲートの荷物チェックについては、パキスタンからアフガンへの入国する人間に対しては、武器などを持ち込まないかをアフガン警察が気にしているようだった。一方、アフガンからの出国・パキスタンへの入国については、甘いようであった。税関を通さない物資の持ち込みがバレたところで多少の金が警官(検査官)に流れるだけだそうだ。



Spin Boldak中心部まで乗り合いトラックで向かい(20Rs。ここら辺では当然パキスタン通貨も使用可)、ちょうど出発したバスに乗ることができた。カンダハール(Kandahar)まで2時間半で80Af(約160円)。
途中、3回も軍の車列とすれ違った。アフガンでは、軍車両がすれ違うときは、道路わきに停車してやり過ごすルールになっている。とくにカンダハールなどタリバン勢力が残る地域では、「不審な動きをした」という理由で容赦なく撃たれる。こうした理由で、民間人しか乗っていないバスが外国軍に攻撃される事件は後を絶たない。

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2010/03/17 カンダハール旧市街~Darwaza Kabul通りの人々


3/16昼過ぎにカンダハール(Kandahar)東部のバスステーションに到着。警官に職務質問を受けた後、タクシーでM.K Afghan Hotelへ。一泊200Af(約400円)は、アフガンでは格安。部屋もきれい。宿のスタッフはRame Khuda君(18歳、カブール出身のタジク人)が簡単な英語を話せ、対応してくれた。
その日はカメラを出さずに(外国人と気付かれずに)街をひたすら歩いて様子を見た。前日には多発テロ(8カ所)が起きていたが、被害が大きかった警察施設周辺は立ち入り規制がしかれていた。その他は、物売りが集まるスーク、学校帰りの子供たち、などを見る限り、市民は普段どおりのようであった。
写真は、3/17朝のホテル前Darwaza Kabul通りの眺め。

ゴミ(ゴム、鉄)回収所を営むPazal Khanさん(24歳、写真右)。20Af/kgで買い取っているそうだ。



自転車の溶接をするメカにクスのNasha Aga君(18歳)。



Ajya Muhammadさん(68歳、撮影拒否)のポンプ屋にて。ポンプ(水汲み設備)1台3,300Af(約6,600円)ほど。



自動車部品屋。英語を少し話せる店員Salahuddinさん(21歳)が招いてくれた。店には、Khalilahmad君(18歳、学生、写真左)をはじめ、色々な人が私に会いに来てくれたので、1時間半も長居してしまった。



店長のBabiyさん(30歳)と息子のGhamy君(12歳)。部品は中国から輸入していて、店の利益は月に1,000,000Af(約200万円)にもなるそうだ。(日本製は高価で輸入できないと言っていた。)全部で5人のスタッフを雇っている。




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2010/03/17 カンダハール旧市街~Char Suq周辺の人々


Darwaza KabulからDarwaza Heratを結ぶ、旧市街の目貫通り。3月でも日中はとても暑く、昼ごろに街を歩く人は少なかった。



私が外国人だとわかると、手振り身振りで大きな駐車場に案内してくれた。もともとは米軍の空爆でできた大きな穴だそうだ。かなり大きな爆弾だったことがうかがえる。地元の人にとっては、一方的に「米軍から攻撃された」という認識である。(関連記事



ヨーグルトのほかお菓子などを売る兄弟Asadullahさん(22歳、写真右)とUry Muhammadさん(20歳)。Masud君(7歳)はとても愛嬌のある子だった。



一見、1階は普通の店舗だが、2階が空爆で崩れいている建物が殆どである。



ガスタンク屋のAqbal Jaanさん(20歳、パシュトゥン人)。写真後ろの棚に並ぶタンク(幅30cm、高さ50cmくらい)が一本1,000Af(約2,000円)もするそうだ。写真手前左には袋入りのナスワールが5Afで売られていた。(紙に包んだものは4Af。)



その店の前で果物を売っていた少年。



壁に写真を吊るして売っていた。カルザイ大統領、マスード将軍などの指導者の写真が目立った。



鶏や鳩を売る屋台が集まるKabul Bazar。



ビーフよりチキンが高級な食肉であるが、鶏(300~500Af)より鳩(2,000Afなど)の方がずっと高いのに驚いた。



店を構えて鳩を売るNida Muhammadさん(54歳)。古いナン(パン)を石で細かく砕いて、餌にしていた。



旧市街の中心Char Suq南部の両替商。換金率は1000Af=1750Rs、1US$=48.5Af。(昨年夏は6月50Af、8月49Afであった。)



ナン屋のGul Muhammadさん(写真中央)。



ナンを焼く職人。

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2010/03/17 カンダハールのタジク人


宿近くのDarwaza Kabul通りには、タジク人が多い。英語が少しわかる学生のMuhammad君(18歳、写真左)に、彼の友人のジェネレーター・自動車部品屋に案内された。






店主のNaebさん(写真左から2人目)と、陽気なTajuddinさん(22歳、写真右から2人目)ら。



彼らの弟たち。手前は用意してくれた昼飯(パラオ、サラダ、ダル、ナン)。



夜に再会し、Naebさんの兄Ameerさんの部屋で皆で食事(シュルワ)を食べた。(他の兄弟3人で月に2,500Af(約5000円)の大部屋を借りている。)
彼らタジク人にとっては、パシュトゥン人、タリバンの評判は悪く、カンダハールを好きになれないと言っていた。彼らの故郷はヘラート(Herat)。カンダハールの人口比は、パシュトゥン人が80%、タジク人・ハザラ人が20%だそうだ。ウズベキ人は、殆どいないらしい。アフガン北部以上に人口比に差があり、その分、民族格差もあるようだ。

彼らは、「外国軍の駐留は必要で、いなくなったらタリバンに占領される」と訴えていた。(この点はタリバンを構成するパシュトゥン人とは意見が異なる。)




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Muhammad君らに、泊まっていくように言われたが、夕食後21:00すぎに宿に戻った。
その後、22:30にライフル銃を持った警察5人が宿に押しかけてきた。なぜか私は逮捕され、荷物も一緒に警察署に連行されてしまった。

2010/3/18 カンダハール警察署での軟禁生活


3/17夜にアフガン警察に逮捕され、宿から警察署に連行された。(制服の警官が持っていたライフルがレーザー照準付きであった。カンダハール(Kandahar)の警官でも限られた部隊の装備だと思われる。通常はどこでも安いカラシニコフ銃ばかりを見かけた。)
警察への連行は、アフガンやパキスタンではよくある事だったので、いつも通り事情を説明し、荷物は全てチェックされた。(不快だったのは、ノートパソコンとカメラのメモリカードの中身も見られたことだが、仕方ない。)
とにかく「パキスタンから陸路で来た外国人」ということで、テロリストかスパイかと疑われた。
日付が変わる頃、取調べが終わって、その部屋の机の上で寝た。

写真は翌朝、その部屋の窓ガラス。3/15の多発テロで東側の窓ガラスは全て割れたそうだ。この警察本部の前での爆発だけで、35人が死亡、53人が負傷している。

3/18は外事課に連れて行かれた。警察が日本大使館に連絡し、次の航空便(3/20)でカブールへ行かされる事になった。
結局、このあと行こうと思っていた西部・ヘラート(Herat)へは行けずに終わった。



3/19撮影。19日の朝に、それまでいた部屋から別棟に移動した。トイレに行くのも見張りが付いて来る状況だが、基本的に一人でベッドで横になれる部屋になり気がラクになった。もちろん、部屋からは出れないし退屈した。



3/19撮影。皆に混じって食事を頂く。ナンとチャイだけのときもあったが、この日の昼食は豪華だった。



3/19撮影。昼寝中のドライバーさん。



3/19撮影。礼拝をするMuhammad Sadikさん。私服だが警官。



3/19撮影。毎晩10:00ごろ、大きなエンジン音とともに軍の車両2~3台が署内に戻ってくる。非常時に備えてか(?)エンジンをかけっ放しなのが印象的であった。冷たいものでも飲みながら、陽気に大声で歓談する兵士の雰囲気は白人のように思えた。外国軍なのだろうか。



3/20撮影。まだ薄暗い早朝(6時前)に起こされた、カンダハール空港へ。カンダハール警察も空港内に入れず、引き渡された私は、空港の入口・チェックイン時と2度の荷物検査を受けた。ここでも「お前がテロリストかどうか調べる必要がある」と言われた。厳重なのは仕方がないがウンザリぎみ。

カブールへ向かう途中、3/20撮影。去年訪れた夏とは異なり、ヒンドゥークシ山脈には雪が多く見られた。

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カブールでは、日本大使館で昼飯をごちそうになった(カレーうどん)。
この日は大使館周辺でテロ警戒態勢が敷かれていて、「一日も滞在して欲しくない」という旨でパキスタン行きの便を待たずに、午後の便でドバイ(Dubai)へ出国した。旅はUAEへと続く・・・