スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

南アフリカ2008/8- 基本情報

以前から南アといえばアパルトヘイト、治安ワースト1というイメージがあった。それが、出発前の下調べで経済発展が著しい中進国、野生動物の観光大国という認識に変わってしまい、逆に一人旅をするモチベーション維持が大変だと思っていた。訪れたタウンシップは今は普通の街であり、村でも予想以上に整備されていて豊かな国に思えた。観光ツアーが組まれる有名なタウンシップには行く気がせず、ケープタウンなどの南部へは行かずにさっさとナミビア・ザンビアに行くことに。物価が高いという前評判だったが、周辺国ボツワナ、ナミビアはさらに高く、ジンバブエは非常事態なので、物が豊富の南アが旅行しやすいのは間違いない。撮影としては、人も町も少なく国立公園の野生動物くらいになってしまった。ブログにあげる写真に困る・・・。


-----以下、ジンバブエ、南アフリカ、ナミビア、ザンビアを通しての情報-----
■期間 2008/7/28 - 2009/10/17
■費用 滞在費¥300,000 往復航空券¥221,900 ※燃料税含む

■カメラ機材
ボディ  Canon EOS3 ※電池、フィルム100本 ←南アの空港だけはX線逃れらず
      Canon EOS40D ※バッテリー4個、CF計48GB、充電器
レンズ  EF17-40 F4L USM
      EF50 F1.2L USM
      EF75-300 F4-5.6 IS USM
ストロボ 480EZ
■プリンタ
  Canon SELPHY CP750 ※バッテリー2個、専用インクカセット・用紙1000枚分
■その他
      変換プラグ、延長コード など
■現地調達
      変換プラグ(南ア専用)



■ジンバブエからの入国
ジンバブエが食料不足で地方の旅を続けられないと判断し、南アに向かうことにした。(もともとジンバブエで長期滞在の予定で南アに入るつもりはなかった。)8/6、Masvingoから、ヨハネスブルク行きの長距離バスに乗ったが、18時にバスが故障し国境手前で停車。20時に別なバスに乗り換え、すぐ国境の町Beit Bridgeに着いた。そこでバスから降りて出国・入国の手続きをするのだが、南ア側で入国するのが長蛇の列。4時間も並んで待たされた。ジンバブエから脱出する人が多いからか、南アの嫌がらせかと思うほどだ。日付が変わって8/7午前2時に南ア側の国境の町Musinaへ着いた。そこで降りたのは私だけで、真夜中に治安が悪い南アで放り出さたと思うと少し焦った。とりあえず近くに宿があり、受付に入れたのは幸いだった。部屋は満室で、朝方まで受付前の床に座らせてもらった。夜勤のガードマンと話しながら過ごした。彼は「ジンバブエは大丈夫か?殺されずによく生きてられたな。」と言っていて、ジンバブエ人たちが「南アへ行くのか?治安が悪いから止めた方が良い」と言ったのと対照的で面白かった。百聞は一見にしかず、ということか。ジンバブエは悪いニュースばかり流されるから。朝方、ガードマンの夜勤が終わり、彼の控え室を引き継いで借りて寝ることができた。
スポンサーサイト

2008/8/7 銅鉱山跡の村(1)


Musinaは銅鉱山があり、街の近くにもボタ山が見られる。そちらに向かって歩いていると銅鉱山で働いていた人が多い下町に行き着いた。(写真の若者Tinasheは、一ヶ月前に兄を頼りにジンバブエから南アに来たそうだ。)



双六?のようなゲームに興じる人たち。








2008/8/7 銅鉱山跡の村(2)


村の商店前にたむろしていた若者たち。






幹線道路沿いにある工場。この裏側に訪れた村がある。



村の広場でくつろぐ老人たち。



以前、銅鉱山で働いてたJulia。



妻のFranc。翌朝、街のミニバス乗り場で出発を待っていると、彼女が私を見つけて声を掛けてくれた。英語が話せないので、贈った写真を取り出し、「ありがとう」ってジェスチャしてくれた。こちらこそ感謝。

2008/8/8 Makhadoにて


公園でサッカーをしていた少年たち。情報収集のためMakhadoへ来た(ミニバス移動中、いくつもの検問でパスポートをチェックされた。さすが犯罪大国!?)。普通の商業地と住宅地で撮る気になれず、ちゃんとした食事をとってのんびり過ごした。ジンバブエの緊張感から開放されてきた。



住宅地にあるコヴナン教会。時間を持て余して訪れた。



China Shopの蔡玲(Tai Nin)さん。南アに来て3年で現地語はもちろん英語も殆ど話せない。南アではどこの町に行っても中国人が経営している店があった。東洋人=中国人だと思われているのも仕方ない。ただ何となく、「China」って呼ばれるのは快くない。蔑称ではないのだろうが。

2008/8/10 日曜の酔っ払い


Makhadoで近くのタウンシップを教えてもらい、東へ6、70km離れたThohoyandouへ移動した。タウンシップとは黒人たちの強制居住区だったところだ。先入観でスラムとかバラック小屋を想像していたら、大間違いだった。昔はともかく今は見た目は普通の街だ。ただ、白人はほぼ見かけなかった。インド人ムスリムが多く目立ったが、中国人もいた。彼らマイノリティはそれぞれコミュニティを作っているが、黒人とは商売相手として互いに上手くやっているそうだ。
この街に限ったことではないが、日曜日は黒人が昼間から酒を飲み、何か叫んだり暴れたりする連中がいる。Mpho Lucky(写真左)とNditsheni(ともに美容師)も朝から酒を飲んで出来上がっていた。ハイテンションで話しかけられ、ハイテンションで応じて写真を撮った。(もちろん、本当に怖そうな酔っ払いには決して近づかず。)

2008/8/10 Thohoyandouの人々


日曜だけトマトを売りにくるNengovhelaと8歳の息子。笑うとそっくり。



写真をあげに戻ったらNengovhelaの夫Ramurongoがいた。仲良し夫婦だ。



Mushianaと弟妹たち。兄弟でバナナを売っていた。写真のお礼にオマケしてくれてありがとう。



Tshamano(写真右)とNengwenani。



屋台で生計を立てるNerilleと子供たち。日本の商品を南アで高く売りたいと、まじめに相談してきた。最初は逆(南ア製品を日本で高く売る)だと思っていたが、日本の質の高い電化製品などは南アでより高く売れると言っていた。




2008/8/12 Moletje村


リンポポ州の州都Polokwaneから日帰りでMoletje村へ。人口1000人以上の大きな村だ。Moletjeは種族名でもあり言語名でもある(Northen Sotho語の一種)。リンポポ州だけでも200種の言語があるそうだ。



この村に限ったことではないが、治安が悪いため簡素な家なりに一軒一軒柵で囲われている。ただでさえ平日昼間で人通りがない村に、カメラを首から提げた外国人がふらついているのだから不審者そのものだ。家に居る人に柵の外から声をかけるも怪しまれてしまう。ようやく理解してくれたMpkgohloa家の皆さんが敷地に入れてくれ話すことができた。






Alpheus(写真右)は村のAuthority Officeの役人だ。村人に「許可証は?」と咎められ、村に入る際にOfficeに行く必要があったことを知った。村に来た目的などを聞かれただけで容易に許可は下りた。ただ、夕方になると「ここは治安が悪い。暗くなる前に帰れ。カメラなんて持っていると強盗に遭うぞ。」とAlpheusは強制的に私を返そうとした。(Officeでプリントしようとしたのだが、1分でも時間が遅れそうになると「Officeを閉める」と無理やり外に追い出された。どこの国も役人は融通が利かないようだ。)


  
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。