2008/10/5 Changoの葬式


昨日病死したというChango、享年23歳。Janetの家の前で人が集まって何をしているのかと思ったら、葬式だった。一瞬、どきっとしたが、私の知り合いではなかった。亡くなった彼女はずっと入院していたそうだ。



遠くから様子をうかがっていたら、「家族が写真を撮ってくれと言っている」とPatric(9/22撮影)から頼まれ、躊躇しながらも撮った。生前は写真を撮られることもなかったそうで、せめて生きた証を残したいという母親の思いだったようだ。(翌日、プリントした写真を旅立つ前に彼女に渡すようにお願いした。)



写真左上は泣き悲しむJanet(9/29撮影)。私も感情的になってしまった。撮り終わってから、親族にかける言葉もわからず、ただ静かに帽子をとって故人に一礼するのが精一杯だった。

2008/10/5 Silbia、年齢不詳


Patricの祖母だそうだ。

2008/10/5 Mweru湖


この日は会う人会う人に別れの挨拶をして村を歩いた。日が沈む頃、見納めにと湖へ。Kashikishi村と言えば、やはりMweru湖だ。「この村は、この湖しかない。政府の支援がないため、農業ができず、いつまでも貧しいままだ」と漁師のJohnがよく口にしていた。短期滞在者の気まぐれな外国人にしてみれば、漁に出る若者、魚を市場で売る女たち、コンゴや島からの移民と、様々な人が集まる魅力的な村だった。漁の風景、魚の食生活、セミノ声、そして蒸し暑さ(ナミビアのOpuwoなどは気温が高いが乾燥していた)と日本との共通点も多く見られたのだ。















湖に広がる漁火。


翌朝、まだ真暗の4:20にバスストップへ。Lusaka行きのバスが5:00にあるので、前日にチケットを購入しておいた。すると、出発時刻になるとバス会社が「(乗客が少ないから)10:00に変更する」って平気な顔して言いやがった(ザンビアでも、ミニバスは定員にならないと出発しないが、長距離バスは定刻で出発するはずなのだ。値段も150,000K(4000円以上)とかなり高い)。他の客は「仕方ない」という顔。一人のビジネスマン風の男がクレームをつけるが、どうにもならない。唯一の外国人である私もオーバーに怒ってみせた。解せないのは「運転手が病気で来れない」と当初言っていたが、問い詰めると「客が少ないから」なのだ。返金も要求したが無理だった。これも文化と言ってしまえばそれまでなのだが。

私に怒られて小さくなっていたチケット売りは、しばらくすると平気な顔していつものように踊り出していた(ここの若者は音楽があれば自然に踊っている)。同方向へ行くバスで客を奪い合い、乗客が分散するから出発時間がますます遅くなる。順番にバスを発車させれば良いのに・・・。客引きらは目先の利益にしか目が無いように思えてしまう。最後は喧嘩になるのも見かけた。本気で殴り合いである。サービス精神が乏しさもあるが、マネッジメントがお粗末すぎるのだ。

結局、10:30に出発したが、バスが満員になるまでその都度、人を載せたり降ろしたりを繰り返し、Lusakaに着いたのは、翌朝4:00である・・・。


首都Lusakaに2泊して、10/9にザンビアを出国。バスで2ヶ月ぶりにジンバブエへ向かった。
ジンバブエへ旅は続く・・・

(Lusakaでは人通りの多い中でスリに遭った。幸い財布が紐で繋がっていたため、被害はなかった。手口はこうだ。前から大柄の若者が「おお、外国人!」って感じでノリノリでハグしてきた。と思ったら次の瞬間、私の後ろを歩いていた男が財布を抜いた。急に止まった私にぶつかりそうになりながら、持っていた新聞で隠しながらである。思わず「Thief(泥棒)!」と言って蹴りを入れたが、そのまま逃げられた。もちろん、一般大衆がたくさんいたので強気で居られたのだが。やはり大都市は治安が悪い。)

ジンバブエ2008/10- 基本情報

7月末から8月上旬に滞在したジンバブエ。ここから帰国することが決まっていたので再び戻ってきた。ザンビアでコレラで入院して以来食欲が無く、体調が万全でないこともあり、すでに帰路の途中という感はぬぐえなかった。それでも2つの目的があった。一つは7/30に撮ったAugustineらに再会して写真を渡すこと。もう一つは、Masvingoで親友となったPrideと再会するという約束を果たすことだ。後者は、彼の母が病気になった事情で叶わなかったが、帰国後も頻繁に連絡を取り合う大親友となった。

ハイパーインフレ、食料不足はさらに悪化していた。(ジンバブエ関連の記事参照。)2ヶ月前に5000円の価値があった札束が、たったの5円にしか値しない。毎日1割のインフレ率。バナナの値段が数日で倍になった。そんな異常な世界でも見る限り治安は保たれ人々は静かに耐えている、そんな印象だった。もっとも私が今回見たのは大きな都市のみで、ニュース映像では飢えながら配給にならぶ人々の様子を見ることがあった。

多くの日本人は関心が低い。きっと、問題の多いアフリカ諸国の一つとしか思えないのだろう。しかし私にとっては、最重要国の一つになった。出会った人、友達がいる国である。実際に足を踏み入れた者の当たり前の感情だろう。何でも良い。関わりを持って興味を抱くしかない。そうやって自分の世界地図を拡げていくしかないのだと思う。



-----以下、ジンバブエ、南アフリカ、ナミビア、ザンビアを通しての情報-----
■期間 2008/7/28 - 2009/10/17
■費用 滞在費¥300,000 往復航空券¥221,900 ※燃料税含む

■カメラ機材
ボディ  Canon EOS3 ※電池、フィルム100本 ←南アの空港だけはX線逃れらず
      Canon EOS40D ※バッテリー4個、CF計48GB、充電器
レンズ  EF17-40 F4L USM
      EF50 F1.2L USM
      EF75-300 F4-5.6 IS USM
ストロボ 480EZ
■プリンタ
  Canon SELPHY CP750 ※バッテリー2個、専用インクカセット・用紙1000枚分
■その他
      変換プラグ、延長コード など
■現地調達
      変換プラグ(南ア専用)

2008/10/10 ムバレ再訪(1)


7/30に訪れた首都Harareの下町ムバレ地区の古着の青空市場へ。当時よりさらに品物は少ない。
写真は、現地語を教えてくれた女の子Emmaculate(20歳)、Sharon(19歳)とその男友達たち。



再訪問の目的は撮った写真を渡すことだ。写真を見せて人に尋ね続け、ようやく一人Jameson(写真左)に再会できた。夫婦で古着を売っている。さすが首都だけあって、一日100~200US$も稼ぐそうだ。物不足で新品は異常な価格のため一般市民は古着しか買わないらしい。それにしても、客がたくさんいるとも思えないなか、予想以上の高収入だ。それでも食料・日用品の物価が高騰しているため、暮らしぶりは厳しい。



(7/30撮影) 中央がJameson。左はAugustine、右はOberi。








2008/10/10 ムバレ再訪(2)


記憶をたよりにAugustineの家へ。本人は不在だったが、妻Diana(写真左、40歳)らがいた。写真を渡すと喜んでくれた。
「次はいつ来るかい?」
「いつになるか分からないよ。日本は遠いからね・・・。」
そう答えるしかなかったが、また行きたいと思う。






息子も私のことを覚えていてくれた。




(7/30撮影)



(7/30撮影)

2008/10/10 Stone Artist


ムバレのクラフトマーケットにて。(相変わらず客が少なかった。)
ジンバブエといえば石が名物で、街角のオブジェ、大きな置物などのアートになっている。Raymond(26歳)はネックレスやキーホルダーになる小さい石アクセサリーをつくるアーティストだ。有名になるために技を磨いている。






彼のオリジナル作品は、「Dreamer」(閉じた目で表現)と「Secret Keeper」(片目を閉じ、片目を開けて表現)の2種類がある。いずれも抽象的な目、鼻、口が彫られている。