2009/7/1 Muimbaraka村の子供たち


村の農家の子供たち。



ひょうきんなFawad君(12歳、写真右)。










洗車で生活費を稼ぐ子供たち。学校には行っていない。農村では不登校の子供とハッシーシ(大麻)を吸う大人をよく見かけた。



英語が話せる大学生のAbdul Aziz君(写真後列左端)によると、村の人口は606人で2週間前に調査したばかりだそうだ。8月の大統領選に触れ、「政治をするアフガン人に良い人はいない。私服を肥やすだけで皆ウソつきだ。外国人が大統領になった方が良い」と言い切った。(長らく話し込んでしまい、日が沈みかけてきた。この村で泊まる場所を探そうとした矢先、「仲間とバレーボールのゲームがあるから」と言ってAziz君は去って行ってしまった。)

2009/7/2 Balkhのパシュトゥン人一家


結局、昨夜は薄暗くなってBalkh(古代バクテリア王国の首都。現在は宿もない小さな街)に到着。そこで出会ったZobin君(写真中央)の家に泊めてもらった。警察署に出向いて滞在目的を説明したりして、すっかり遅くなってしまった。スイカやBamya(オクラ)、Ash(麺入りスープ)でもてなしてくれた。近所の親族が日本人見物に次々にやってきては挨拶した。
Zobin君は来春高校卒業で、カタコトだが英語が話せる。肝臓に持病があるそうだ。やはり既に親が決めた婚約者(従兄妹)がいる。



中庭にて、父親のZabiさん。農業を営み素朴で穏やかな人柄だが、ソ連が侵攻してきた時にはムジャヒディン(イスラム戦士)として戦ったそうだ。やはり、家の中でも私が女性を目にすることはなく、一度チャダリ姿ですれ違っただけだった。(朝飯にはパンとHallwa(トウモロコシの花と砂糖で作った、白濁のどろどろの液体)を頂いた。突然お邪魔をして本当にお世話になった。)



Zabiさんと彼の子供・甥っ子たち。子供らはもう夏休みだそうだ。






別れる際に家の門まで見送ってくれた女の子たち。

2009/7/2 Balkhの蛇使い


Googleマップ


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Balkhの公園で2人の大道芸人がパフォーマンスをしていた。蛇を扱ったり、針を飲み込んだり、子供も大人も見入っていた。












大道芸を取材をする若者(2人)がいて、私もカメラを向けられ英語でインタビューされた。
「どちらから来たんですか?」
「日本からです。」
「このパフォーマンスはいかがでしょう?」
「素晴らしい!蛇を使うショーは珍しいね。日本では見られないよ。」
と、語学力を補うかのような大袈裟なジェスチャーでありがちな受け答えを行った。



街を出る前に、命令どおりに警察署に立ち寄り、昨夜は不在だった署長(?)Mirza Muhammadさんに、事情を説明した。自転車旅行を中止させられるかと覚悟もしたが、意外にも「ここは治安が良いから、大丈夫だ」と許可してくれた。道中での警察とのトラブルで役立つだろうと、連絡先とサインをノートに書いてもらった。写真は、一緒に公園を散歩した警官Saiyd Yaqoobさん。

2009/7/2 八百屋の兄弟


Balkhの町外れの八百屋。スイカが多い。店番をする兄のNajeebさん。



手伝う弟のJamshad君。私の自転車に悪戯する子供らが集まる中、真面目な兄弟だった。



食堂にアイスを買いに来る人たち。



アイス売りは食堂の看板男でもある。背後の絵は英雄マスード。



Balkh周辺の建物は古くて立派なものが目立った。



街から10kmくらい離れたBabayasa村の商店。Gul Raul君、10歳(写真右)。

2009/7/2 Charborak村の商店


およそ10kmぐらい置きに小さな店があり、その都度、水をもらったり休憩したりした。パシュトゥン人の店主、Muhammad Aliさん(20歳)。



店にいたJaudin君、11歳。



近くのタンク(戦車)の残骸。



商店の向かいにある自転車修理屋Abdularoafさん(40歳)。チャイごちそうさま。

2009/7/2 麦の脱穀作業


麦を集める男たち。脱穀自体は農機で行っていた。



背景の山々はTimuraという名だそうだ。






15歳のTaus君。一番の働き者に見えた。



近くで働いていた農夫たちが「俺たちも撮ってくれ」とやってきた。

2009/7/2 戦車の落書き


荒地に放置された戦車。(人も居ず確認できなかったが、主要道路沿いではまず地雷はないと信じている。)



子供の落書き。



ようやく商店を見つけ、水をもらう。



牛・山羊を放牧する少女たち。このあと、日本語で「シミズオクト」と書かれた自動車が通り過ぎていった。日本の中古車がそのまま走っているのは、途上国では珍しくない光景だが、それがなんと私が学生時代にバイトをしていた会社(Jリーグ等のイベントスタッフ・警備の会社。旧シミズスポーツ)の社用車であった。世間は狭いというべきか。



Temiraq村の商店前で農作業をしていたMirajonさん。(水をもらった一つ手前の商店から2時間以上がたち、夕方になってしまった。途中、暑さに我慢できず、道端の手動ポンプの井戸水も口にした。)彼の父で英語教師のGlabuddainさんに「この先には近くに街はなく、店もない」と言われてしまった。