2009/7/11 Faizabadの旧市街の人々(1)


7/15撮影。旧市街の外れにある洗車場。撮られているの意識して、ホースの水を天に向けるAj Grastanさん。



甘くない飲むヨーグルトを売るAj Grastanさん。ネギなども入りスパイシーな飲み物。(マザリシャリフで飲んだ物と同じ)






トート(ラズベリーの一種らしい)を売る若者。高地でよく見る甘い木の実。



7/15撮影。対岸から洗車場を望む。






旧市街の町並み。



Abdulaiさん(45歳)とその子供たち。女の子は一人で店番をしていた。



両替商のAbdul Hadyさん(写真中央)。

2009/7/12 アフガンでNGOとして働く外国人(1)


この日は体調が悪く、チャイハナの隅で寝込んでいた。そこへ、NGOで活動する韓国人(米国籍)Sunghoさん(61歳)が通りがかり、話をして彼女の家に一泊だけお世話になることになった。彼女の家には洋式のキッチンもお湯のでるシャワーもあり、大変有難かった。
彼女は韓国系米国人クリスチャンが母体となるNutrition & Education International(NEI)というNGO団体に所属し、バダクシャン州に派遣されている。この団体はアフガンで、現地女性を雇って大豆の栽培、豆乳・大豆粉を作り、女性や子供に与える活動をしている。貧しい女性・子供の栄養を補い、抑圧されている女性を解放することも目的となっているそうだ。



庭にはお手製の卓球台もあり、近くの子供や女性たちと交流の場にしているそうだ。そのほか豆乳製作棟もあり、唯一の常駐スタッフ兼通訳のFagilさん(25歳、写真右)を住み込みで雇っている。



7/13撮影。夜は庭に蚊帳を張ってもらい(写真左)、きれいな布団で寝れた。

2009/7/13 アフガンでNGOとして働く外国人(2)


大豆を洗いながら不良のものを取り除く作業をするSunghoさん(写真左)とFagilさん。



Fagilさんに豆乳・大豆粉をつくる作業を説明してもらった。写真のマシンで大豆を液体とカス(大豆粉)に分けられる。

彼はKonduz出身で10年間学校教育を受けた後、タジキスタンに渡っていたそうだ。今はここで働きながら朝の英語コース(5:00-7:30)だけを受けに学校へ通う。働きながら学ぶ人が多いので早朝に行われるそうだ。Sunghoさんが「積極的に英語で話せるように」と彼の教育も行っている。彼は大人しいが誠実な性格であり、Sunghoさんが信頼しているのも納得できた。



大豆の生ミルクに水などを加えたものに、機械を使って煮沸などを行えば豆乳ができあがる。

製作作業は隔日で行う。製作日の翌日は清掃日とし、清潔で安全な品質を保っている。当初はこの点がアフガン人に理解されず苦労したそうだ。普段は現地女性の2、3人のヘルパーがいるのだが、この日は来ていなかった。Sunghoさんとしては、できるだけ寡婦などを雇って彼女らの生活を助けたいのだが、連絡も無く休んで来なくなってしまったり、夫や父親が許可しない場合も少なくない。やる気のある人だけを選ぶと、教育も受けて比較的裕福な女性ばかりになってしまうそうだ。以前に、物品や活動資金を持ち逃げされたこともあり、人選も様々なことを考慮しなければならない。

2009/7/13 アフガンでNGOとして働く外国人(3)


豆乳製作日の午後には近所の子供たちが飲みにやってくる。このときは現地女性のヘルパー2人が来ていた。(一人は以前雇っていた若い女性で英語が話せる。人手不足のときに手伝いに来るそうだ。もう一人は雇っている寡婦の母親。寡婦自身は来なくなってしまい、代わりに母が働きたいと申し出ている。しかし母の方は比較的裕福だそうでSunghoさんは別の寡婦を雇うつもりだと教えてくれた。) 部外者の私にも笑顔でコミュニケーションを取る彼女らも、敷地の外では全身にチャダリを被って帰っていった。



豆乳が好きな子は何杯でも欲しがる。最初は「異教徒の作る怪しい飲み物」として誰も飲んでくれなかったそうだ。今でも年配者や女の子には敬遠されることが多い。



家族のために水筒を持参して、持ち帰る子も多い。通常、一つの家庭で水筒一杯分と限定している。写真は、二杯目をもらいに再びやって来た女の子。断られる子が多いなか、気づかれずに運良くもらえていた。






豆乳の味が苦手な子供たちにも飲ませるために、Sunghoさんは自ら一気飲み競争までする。



終始パワフルな女性にアフガンの若者も圧倒されていた。






「豆乳を飲めば米国の男子みたいに強く成れるんだよ!」と苦手な子に飲ませるSunghoさん。



2009/7/13 アフガンでNGOとして働く外国人(4)


豆乳の届け先の学校(No1 School)にて。自ら「撮って!」と寄ってきた女の子たち。



町で会う人はもちろん、自動車で移動中も近所の人々に「Good to see you!」と笑顔で手を振って声を掛け続ける。多くの現地人は意味も分からないのだが、面識がなくても笑顔で返す人もいる。「笑顔で挨拶すれば、相手も笑顔になる」という信念を貫き通す。今では町の多くの人から親しまれる名物オバサンになっている。(英語に慣れさせる意味もあるようだが、彼女は現地語や風習を必要以上に学ぼうとはしない。逆に私に訊いてくるくらいである。)
写真は、ノートやペン、飴玉をもらおうと駆け寄ってきた女の子。実際に良い行いをした子供にはご褒美をあげ、喧嘩をしたり石を投げたりと悪い行いをした子には、強く叱る(最後に「I love you!」と言って抱きしめる)。



地域(行政)事務所にて、Sunghoさんと親しい家族に昼飯をご馳走になった。そこで驚かされたのは、外国人の私への挨拶として、女性(40代半ばくらい)も握手をしてきたのだ。ムスリム女性が他人の男と握手をするのは通常なら有り得ない。もともと子供たち(20歳くらい)がSunghoさんら外国人と接点を持つようになり、欧米式の考え方も受け入れるようになったようだ。
Sunghoさんは、「多くのムスリム女性は夫の奴隷であり、自由が無い」と考えている。「親の宗教を引き継がなければならないのはおかしい。他の宗教も知った上で、選択する自由があるべきだ」と人々に説き、その上でイスラムを選ぶのなら構わないと主張する。彼女自身は敬虔なクリスチャン(プロテスタント)で私にも米国とキリスト教について語ってくれた。







2009/7/13 アフガンでNGOとして働く外国人(5)


旧市街側にあるFaizabad Hospitalにて。ここでは各病室を回って、豆乳を飲みたい人に与えていく。Fagilさんや病院のスタッフが「栄養があり体に良い飲み物だ」と説明しても、飲む人は10人中2、3人程度。まだまだ抵抗感があるようだ。Fagilさんを通して何とか数人に許可を得て撮らせてもらった。









ここでも男性の方が飲んでくれる人が多い。






Fagilさんと病院のスタッフ。



病院の女性スタッフ。彼女は進んで飲み、他の女性にも勧めてくれた。豆乳を嫌がっていた女性が最後に一口でも飲んでくれたときには、何とも嬉しいものだった。こうしたNGOや病院スタッフの地道な努力には頭が下がる。

2009/7/13 アフガンでNGOとして働く外国人(6)


旧市街の中心地である警察署前にて、豆乳を人々に飲ませた。相変わらず食わず嫌いの人や、一口で「まずい!」と止める人も少なくない。「なぜ始めに、美味しくないと説明しないんだ!?」と怒る人もいた。私は「日本でも飲まれているよ」と言って後押しした。
そもそもアフガン人は日本人同様、大人は牛乳を生で飲む習慣が無いのだ。(一方、ヨーロッパ人は成人しても、乳糖を分解する酵素を乳児並みに維持するために、牛乳を生で飲んでいる。)



一人の男性がSunghoさんに言い掛かりをつけて来た。結局、男は酔っていたようで、彼女に味方をする多くの人々によって警察署へ連れて行かれたようだ。

彼女は今までも何度も活動に抵抗する現地人と遭い、対話を重ねてきた。女だというだけで話を聞かない男たちも少なくない。彼女は「私は61歳、お前のお婆ちゃんだよ!なぜ言うことを聞かないんだい?」と、粘り強く話しかける。そして家に招待して食事を振舞ったり時間をかけた付き合いも欠かさない。最後には、男たちも彼女を「姉さん」「母さん」と慕うようになるのである。

もちろん、いつも上手くいったわけではないと彼女は言う。伝統色の濃い村を訪れたとき、若者たちが石を投げる構えで「異教徒は出て行け!」と強く拒んだ。彼女はいつものように「私はあなたを愛しているのよ!」と諭す。「私の神は、あなた達を愛しなさい、と言う。あなたの神はあなたに私を殺せと言うの?(違うでしょう?)」と。それでも若者は頑なだった。彼女は時間をかけて、村の長老には理解を得ることができた。しかし、今度はその長老が村人に襲われて怪我を負ってしまったのだ。結局、長老から「頼むから、この村には関わらないでくれ」とまで言われてしまった。Sunghoさんは、さすがに為す術が無く、その村に近づくのを諦めたそうだ。