2009/7/26 Kazihel村の人々(1)


Googleマップ


より大きな地図で アフガニスタン2009/6 を表示


深い渓谷のpanjsherには、基本的に川沿いにしか道がない。この日の午後は下流(南西側)方面へ歩いた。写真は、対岸から警察署(写真中央奥)付近を望む。



Kazihel村で出会った少年たち。人懐っこいAbdul Kodas君(9歳、写真右)。






農民のMadashanさん(40歳)と息子さん。この写真の背景の土地で米を作っている。(写真足元の半地下の家に住んでいるそうだ。) 英語が分からなくても礼儀正しい人たちだった。



村の建築現場にて。サングラスの現場監督(?)は元コマンダーだと言っていた。



大統領選の有力候補者アブドラ氏のポスターを掲げる建築現場の男たち。故マスード将軍の地元であるPanjsherでは、未だに彼はカリスマ的な人気がある。その戦友であったアブドラ氏は当然ながら人気がある。(アブドラ氏のテレビCMでは、マスードと一緒に戦っていた頃の映像が何度も流されていた。他の候補者の選挙ポスターでも、文民としての現在の写真と合わせて、ムジャヒディーン(イスラム義勇兵)時代の戦闘服姿の写真を掲載しているものもいくつかあった。「力」の持つ軍人を支持する人たちも根強くいるようだ。)

2009/7/27 Nandanaq村の施設(1)


川の上流方面(北東)にあるNandanaq村を訪れた。ここにはParian地区唯一の診療所がある(写真左)。隣は警察の詰め所。



診療所は政府が設立したもので、医者のMarufさん(地元の出身の24歳、写真左)が一人で働いている。給料は国から月にUS$300が支給されており、カブール勤務でも同額なのだそうだ。壁には実物のコンドームが解説付きで貼られていた(写真上)。



診察をするドクターMarufさん。月に500人ほどが訪れるそうだ。



すぐ近くにあるカルザイ候補者(現大統領)選挙運動拠点で活動するMat Khanさん(47歳)。元コマンダーだそうだ。



Matさんに選挙活動拠点に案内された。(単に20人くらいで集まれる部屋があるだけである。)
上の息子(写真中央)はカルザイ氏が嫌いでアブドラ氏を支持しているそうだ。(カルザイ氏は最近は米国と仲が悪くなってしまった一方、欧米諸国はアブドラ氏と良い関係にあるそうだ。オバマ米国大統領もアブドラ氏と仲が良いのだという。周知の通り、8月の大統領選の結果は一部で不正が認められつつもカルザイ氏の勝利が確定した。)



Matさんの4歳の息子。

2009/7/27 Kazihel村の人々(2)


前日に続いてKazihel村へ。途中で会ったロバを引く兄弟。
(歩いて行ける村は限られ、同じ村に何度も通っていた。汚い話だが、Parian警察署にも水道がなく、トイレは屋外の野原になる。一応、署の側に用意された穴(トイレ)があるのだが、ウジ虫だらけなので使わない人も多い。私はいつも人家のない道が続くKazihel村への道中で用を足していた。)



この周辺では、道路が拡幅されるために取り壊された家屋が目立った。



工事現場の労働者たち。



山から削った砂や石を大きさで選別していた。建設材料やセメントにするらしい。






7/28撮影。山の斜面を削って作られた通り沿いに横穴が並ぶ一帯がある。中には人骨があり、地元の人いわく「2,000年前のもの」だそうだが、とりあえず相当古いものではあるようだ。

2009/7/28 Areb村周辺へのピクニック


7/25撮影。この日は警察車両に余裕があるそうで、Ahamad Fedaさん(私のParian滞在の責任者)が近郊の村へ連れ出してくれることになった。写真はParian警察署前。



Fedaさん(写真左)と、護衛として同伴したKabirさん。Bazarak出身のFedaさんは、不在がちな署長の補佐役でありParian警察署No.2だ。もっと年上の警官も大勢いるので彼は優秀なのだろう。実際、英語はほとんど話せないが、地元の人には珍しく紳士的な態度で良い教育を受けているのが窺えた。一方のKabirさん(22歳)は署で随一のやんちゃ警官である。(ランクは違うがプライベートでは2人で大の仲良し。2人でいるときは、普段は落ち着いているFedaさんも普通の若者になっている。)



2人の他に、通訳としてDidarさん(写真中央)が付き合ったくれた。ロシアの大学で土木を学んだエンジニアで、署の裏手の建設現場(新しい警察署)で指導している。(彼に頼まれて、彼のコンパクトカメラ(日本製)の言語設定を英語に変えてあげた。日本の中古品などを日本語のまま使っている人が少なくないようで、旅行中に同様の依頼を受けることが何度かあった。)









車から降りて道なき道を1時間近く歩いた。結局、Areb村への行き方が分からなくなってしまい、残念ながら辿り着けなかった。写真は唯一見かけた村人。



途中、皆で実弾射撃をして遊んだ。



ターゲットを確認中。エンジニアのDidarさんも当たり前のように上手に撃っていた。
アフガン人は、歴史的に大英帝国やソ連などの侵略者に対して自ら義勇兵となって戦ってきた。銃が身近にある必要があったのかもしれない。守ってくれる国家、頼れる軍隊がいなければ、自ら銃を手にとって一族を守るのが自己防衛だということを教えてくれた。

2009/7/29 警察署周辺の店


8/2撮影。屋台でを羊肉を売るMuhammad Bazilさん(18歳)。Parian警察署の周りに商店が3軒(木造の小屋が2軒、コンテナを利用した店が1軒、)あり、その他、一時的にこうした屋台が出ることがある。



8/2撮影。羊肉1kg当たり1,000Af(US$20)だそうだ。



7/31撮影。一番大きな商店。写真右が店主のShelagaさん。



屋台でブラニーという食べ物を売るSher Muhammadさん(30歳)。練った小麦粉を延ばし、野菜などの具をいれて三角形に折ったものを油で揚げている。人が集まる日だけ営業しているようだ。



兄のブラニー作りを手伝うJawidさん(20歳)。1枚20Af(US$0.4)。



8/1撮影。1畳ほどの小屋で店番をするZuk Ullah君。Nandanaq村から来ている。私の名「トモアキ」をすぐに覚えた賢い少年。何か買うときはこの店を利用していた。

2009/7/29 ISAFが来た日


この日は早朝から周りの警官たちが働き出し、部屋の掃除で私も5時すぎに起こされた。朝食前には、今まで見た事もなかった朝礼で、Mohep Bullaさんが皆に気合を入れていた(写真)。何事かと思ったていたら、この日はPanjsher州の建設プロジェクトの進捗をチェックするPRT(地域復興チーム)の部隊がやってくるのだそうだ。(現在、PRTの指揮権はISAF(国際治安支援部隊)が引き継いでおり、Panjsher州は米軍が担当している。)



署の周りでも物資を運ぶトラックが来たり、商店で物資を出し入れしたりと慌しい。



一頭の羊がさばかれていた。一頭で何日間もの食を賄える量だが、この日は多くの羊肉が要るということなのだろう。来客(ISAF)をもてなすのは自然なことだ。









PRTは、Panjsher州の高官(州長?)の同伴で朝8:00ごろにやってきた。警察署の周りにある3つの建設プロジェクト(裁判所、警察署(新棟)、テレコミュニケーションセンター)の進捗状況をエンジニアから説明を受ながらチェックし、わずか20分で去っていった。近郊の道路工事のプロジェクトをチェックしに行ったようだ。アフガンでは、こうした公共事業の発注者はPRTであり、その進捗管理も重要な任務である。あまりの慌しさに、リーダーのMatthehさん(写真手前左)と簡単な自己紹介をしただけだった。
写真は、昼過ぎにPRTの連中が戻ってきたときに撮影。(座っている中央はISAFのアフガン人通訳。立っている男はアフガン軍。)



通信機材を持ち込まれた警察署の一室がISAFの詰め所となった。一部の外国人メンバーは現地の子供たちと記念写真を撮る人もいた。






一見、日本人女性かと思ったが中国(または韓国)系の米国人。彼女は子供に英語で年齢を聞いていたが、ここの子供が理解できるはずも無い。現地語で「何歳?」「14歳」と彼らの会話を私が通訳してあげた。(私も基本中の基本の会話しかできないが)現地に派遣されている彼らが全く現地人と意思疎通ができないことに驚いた。実際、常にアフガン人の通訳が同行しており、任務には支障はないのだろう。



署の前でくつろぐISAFとアフガン軍のメンバー。ISAFの車(トヨタハイラックス)には様々なものが積まれていて、私にミネラルウォーターと皮膚に塗る薬をくれた。(アフガンではノミ(?)などで体中が痒い状態が何週間も続いていた。)



警察のもてなしのプラオを食べるISAFの土木技術者Kellyさん。テキサスからアフガンに派遣されて3年、Panjsher州には1年半になる。銃を常に携行してはいるが使うことは無いそうだ。軍では口に合う食事は常備されているが、休みが殆どない生活なのだという。彼のようにCivilian(文民)もいるが、U.S.Air Force(米空軍)を多く見かけた。(各人の制服に名前と所属が書かれている。)
警察から食事が用意されたことは予定外だったようで、「おいしい」と大袈裟に言って食べる人と、ほとんど食べずに残す人と極端に分かれていた。

2009/7/29 Nandanaq村の施設(2)


この日はムッラーであるMawlavi Abdul Karimさんに案内されてNandanaq村を歩いた。(「Mawlavi」はムッラーという意味の尊称だそうだ。 ) 写真は、皆に押してもらってエンジンをかける自動車。(途上国でよくある光景。)



8/2撮影。村へ帰る女性たちを通りがかりの車が乗せてあげていた。



通り沿いの木を伐採する作業。道路拡幅のためらしい。



ムッラーKarimさん(写真右)に連れてこられた場所は、7/27にも訪れたカルザイ大統領の選挙運動拠点の家だった。Karimさん自身はPanjsher州の議員だそうだ。(彼の選挙ポスターをもらった。) 彼はとても温和な人で、私の様々質問に快く答えてくれた。
(アフガンでNGOとして働くSunghoさん(「旅みち」関連記事)の話などから)ムッラーとは厳格な宗教指導者・地域の権力者だと想像していた。しかし、マドラサ(神学校)や大学でイスラムを専攻した者の多くはムッラーとなっているようで、村に5~10人もいるそうだ。Parian地区だけで約1,000人になるという。ムッラーということで金銭的な利益は何もないそうで、多くのムッラーは普通に働いて暮らしている。(Karimさん自身は裕福な家柄で、他に仕事をせずに済んでいるそうだ。その点について、「Karimさんみたいに裕福な人は、金への野心がないから逆に信頼できる」と言う人もいた。写真中央の2人もムッラーであり、やはり他に職は無いそうだ。)
イスラム聖職者・イスラム指導者とも訳されるムッラーだが、地域・個人の差こそあれ、単にイスラム教の教養があり指導的立場にある人物という印象だった。(もちろんムッラーの中には権力者になる場合もあるだろう。)



そのうち、続々とムッラーたちが集まってきた。服装などの見た目から、ムッラーの中でも格差がありそうだが、「アッラー(神)の下に人は皆平等だ。預言者ムハンマドでさえ同じ」とイスラムの教えを強調していた。



村の道路工事に従事するZabih Ullahさん(パキスタン出身の土木エンジニア)。カタコト英語ながら彼が通訳をしてくれて助かった。「1000年以上前に成立したイスラム教だけど、現代には適合しないことも何かしらはあるでしょう?具体的にムッラーたちに聞いてみて」と彼に頼んだら、「そんなことは聞けないよ。勘弁して」と困らせてしまった。