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【2009/8/21 パラロック村のムスリム】


パラロック村 (Rumbur)。

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【2009/8/22 UCHAU(収穫開始の祭) ①】


サジゴール神へ山羊を生贄にする。男のみが参加できるUchauの儀式。 サジゴールトン村 (Rumbur)。

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【2009/8/22 UCHAU(収穫開始の祭) ②】


集めたチーズを全員に分配する。 サジゴールトン村 (Rumbur)。

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旅(2010春)の雑感

2009年の夏に行ったパキスタン・アフガニスタンを再び訪れた。とくにパキスタンのペシャワール旧市街(前回も2週間滞在)に居座り、人々の暮らしをじっくりと見つめようと思っていた。アフガンでは(前回訪れなかった)治安の悪い南部、西部へ行くつもりだった。こうした理由で今回は自転車を持参せず、フツーの旅のスタイルになった。

とにかく、「未知の新たな地域へ行きたい」という気持ちを抑え、再訪問という慣れない滞在型の旅にした。それが吉か凶かは今でも分からない。再訪問だと新鮮味は少なく、実際に写真の枚数は随分と減った気がする。(午後に天候が崩れる日が多かったのも一因。) 一方で、やはり時間をかけることで新たに気付くことも少なくなかった。

■日程
・ 3/1 - 3/16 パキスタン
(主な訪問地:Karachi,Khuzdar,Quetta )
・ 3/16 - 3/20 アフガニスタン
(主な訪問地:Kandahar,Kabul )
・ 3/20 - 3/23 アラブ首長国連邦(UAE)
(主な訪問地:Dubai )
・ 3/23 - 4/27 パキスタン
(主な訪問地域:Peshawar,Karachi )


■パキスタン・バロチスタン州
前回訪れなかった地域のうち、もっとも気になっていたバロチスタン州。バローチ人の土地であるが、州都クエッタ(Quetta)もある北部にはパシュトゥン人が多い。クエッタは交通の要衝であり、(パキスタン全体で旅行者が激減している昨今でも)長距離旅行者が立ち寄る土地だ。([イラン]~ クエッタ ~ ラホール ~ [インド])
同じく部族社会が色濃いパシュトゥン人(主に北西辺境州)と比べると、バローチ人は、反政府(反パンジャブ人)の意識が高い。パシュトゥン人は商売に長け、今ではパキスタン全土に広がっていて他民族とも器用に付き合う。一方のバローチ人には、同州の豊富な天然資源を政府に搾取されているという意識が強い。パンジャブ人(パキスタンの過半数を占める民族)による支配からの独立を目標とする反政府活動がとても盛んである。Khuzdarでは、パンジャブ人はとても住める環境ではない。地元人にパンジャブ人が殺される事件が後を絶たない。私の滞在中にも起きた(関連記事)。州都クエッタでさえ、テロが目立ってきている。タリバンの潜伏地にもなっているようだし、バロチスタン州は今後、悪い意味で注目を集めることになる気がした。

※北西辺境州(NWFP)は2010年4月に「Khyber Pakhtunkhwa」という州名に変更されました。


■アフガニスタン
パキスタン南西部のバロチスタン州からカンダハルへ陸路で入国。が、治安状況が悪いため、警察・大使館経由で出国させられた。わずか5日間の滞在となった。(自由行動できたのは2日間のみ。)
カンダハルはタリバンの本拠地だった地域であり、戦闘シーンのニュース映像以外は殆ど目にすることはなかった。とはいえ、やはり街では人々の平穏な暮らしがあるのである。私が入った前日には8カ所でテロ事件が起きたのだが(関連記事)、市井はとても落ち着いているように思えた。現地人と同じ服を着ていた私は、話しかけたり、カメラを出したりしない限り外国人とは思われなかった。(モンゴロイドの顔つきである現地のハザラ人だと間違われる。) 日本人の訪問者とわかると、親切にしてくれる人が多い一方、今までに無い、怪訝な厳しい目線をくれる人も少なからずいた。(冗談っぽく)「彼はタリバンだ」(または「タリバンだった」)なんて言って知人を紹介されても、後者だと本気で不安になった。容姿がタリバンと同じ人などは山ほどいる。(もちろん本来の意味でタリバン=神学生の人も多い。)

前回訪問したアフガン北部は非パシュトゥン人地域。民族の対立してきた経緯からもタリバン(パシュトゥン人が主体)を嫌悪するのは当然であった。一方、カンダハルはパシュトゥン人の中心地でもあり、タリバンを擁護する声も聞かれた。それでも、街に住む人々は多国籍軍・国軍が治安を維持している現状も実感している。「全てのタリバン(テロリスト)はインドやアメリカの秘密組織だ」と信じて疑わない人は、パキスタン側のパシュトゥン人の方が多い印象であった。(私は決して全否定はしないが、テロリストの多くはムスリムの過激派だと捉えている。)
(アフガン全体でも多数派である)パシュトゥン人と(カンダハル市街地にも2割程度いる)非パシュトゥン人との民族間の対立は相変わらず強く感じた。私には見た目では区別がつかないのだが、パシュトゥン人の悪態をつくダジク人を何人も見かけた。北部よりも圧倒的に人口比に差が出る南部(カンダハル)の方が、少数派(非パシュトゥン人)の反パシュトゥン感情は強いのかもしれない。
(以上は、あくまで短期滞在しただけの私の印象である。)

関連記事「アフガニスタン2009/6- 基本情報」(前回、北部を訪問したときの印象など)


■パキスタン・ペシャワール
後半はペシャワールに終始した。1ヵ月も同じ宿に居たことは今までになかっただろう。前回に親しくなった、信頼できる友人が数名いて、毎日のように通う場所が3、4箇所あった。人から見聞きしたことの事実関係(語学が不十分で「本当か?」と思うことも多かったのだ)を彼らに確認することができたし、遠出をするのに自転車を貸してくれたりもした。(偶然も含めて)再会した人は30人以上になった。私にとっては実に居心地の良い街なのである。
治安は、現地入りした3月下旬には「この2ヶ月テロが無く、改善された」と言われていたが、4/5に新市街で米国領事館付近で連続爆発事件、4/19には新市街の警察学校での爆発事件および旧市街の繁華街での無差別自爆テロがあった(関連記事)。とくに後者は、ほぼ毎日通っていた馴染みの場所で、知っている子供も亡くなり、はじめて本当にテロを身近に感じた。

部族地域からの出稼ぎ労働者、クリスチャン、働く子供たちは時間をかけて見ることができた。一方、最も驚いたことの一つは、携帯電話の普及でイスラムでは厳禁である婚前交際・不倫などが増えたことなのだが、結局、こうした女性に直に話を聞くことはできなかったのは残念であった。(パシュトゥン社会ではイスラムに輪を掛けて戒律が厳しい。不倫は、未だに殺されるのが当然なのだそうだ。都市部では離婚・金銭的解決で済むとも聞いた。)

前回のアフガンほどではないが、子供たちからのイタズラには相変わらず手を焼いた。大人が居ない場所で子供たちが集まると、私へのイタズラがエスカレートする。いつもの投石に加えて、(私のそばにいる子を他の子が突き飛ばしての)体当たりをされたり、生ゴミをぶっかけられたり。特に怖かったのが爆竹。見た目は煙草くらいだが、6、7cmの火花が出る。これを足元に転がされるうちは音にビビッていれば良いのだが、しまいに投げられたことがあった。見事に胸元で爆発し、左手に軽い火傷を負い、服に小さな穴が開いた(写真)。この日以来、爆竹のイタズラが本気で怖くなった。
(その翌日4/19に前述のテロが身近で起き、爆竹なんぞは、笑い話になってしまった。)


最後に、もう一つの大きな目的であったフレンドリーポストカードの人物への手紙渡しは、3組全員に再会することができた。(手紙渡し関連記事「青い服の少女」「微笑む男の子」「少年工」) 手紙を書いて頂いた方々には本当に感謝したい。

(彼らを含め、再会した子供たちは10ヶ月で随分と成長し、感慨深かった。「野菜売り」の少年は、完全に青年へと印象が変わり、もう無邪気な笑顔は見せてくれなかった。写真は一期一会だとあらためて思わされた。)


Posted at 2010/05/03 01:07 | 雑記 | COM(0) | TB(0) |

【2009/8/22 UCHAU(収穫開始の祭) ③】


丘の上のJestakhan(祭場)からBalanguru村を見下ろす。 Gram村 (Rumbur)。

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【2009/8/22 UCHAU(収穫開始の祭) ④】


Gram村 (Rumbur)。

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【2009/8/22 UCHAU(収穫開始の祭) ⑤】


右から2人目は、Bumburetに長期滞在しているトルコ人学生。 Gram村 (Rumbur)。

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