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旅(2010冬)の雑感

■7年ぶりのエチオピア
 ちょうど7年ぶりに訪れたエチオピア。修士3年生(半年休学)だった当時は、とくに北部の岩窟教会に興味があった。ラリベラ(Lalibela)でのエチオピア正教のクリスマスのほか、南部の裸族など、観光として充実した思い出がある。(一方で、南京虫に体中がボコボコになった記憶も・・・。この「エチオピア2003」はポジフィルム撮影ですが、スキャンしたものがあるので、先立って公開します。)
 2003年は旱魃で食料配給も行われており、貧しい国という印象が際立っていた。現在では、幹線道路の舗装化がかなり進み、携帯電話の使用範囲が日々広げられている状況だ。(やはり中国パワーが絶大。)
 当時から、エチオピアはアフリカの中でも観光資源が豊富で旅行者にとても人気がある国だ。貴重な収入源として、観光地化が進むのも当然の流れかもしれない。


■南スーダンとの隣接地域
 今回は、およそエチオピアらしくない西部ガンベラ(Gambela)州に滞在していた。ここは以前、スーダン領でもあった地域で、現在でも南部スーダンの関わりが深い土地だ。長年の民族移動のほか1980年代ごろからは難民も流入し(2006年以降多くの難民は帰還)、現在でも、元スーダン人であるヌエル(Nuer)人が住民の多数派を占めている。もちろん、南部スーダンの独立投票が1月9日から始まることを意識して、元難民などに話を聞いて回っていた。
 スーダンの北部政府(イスラム教徒中心)と南部(キリスト教徒中心)との対立になぞらえ、「日本はイスラム教徒側か?キリスト教徒側か?どっちの味方だ?」と問いただされることもあった。
 ガンベラ州では、圧倒的にキリスト教徒が多く(南スーダン人は主にプロテスタント、アビシャン(=アビシニア人。ここでは黒人・スーダン人に対してエチオピア人(エチオピア高原の各民族の総称)として使われていた)は主にエチオピア正教)、南部スーダンの独立を待ち望んでいる。(エチオピア全体では、エチオピア正教50%に次いでイスラム教が30%と多い。)
 実際には、「独立後にすぐに故郷に戻る」という人よりも、(南部スーダンでは教育システムが十分でないので)学業を終えるまではエチオピア側で過ごす若者が多かった。


■写真ぎらいな人々
 アビシャン(エチオピア人)も含め、ヌエル人など黒人(スーダン人)も写真に撮られるのを好まず、歯がゆい思いを随分とした。せっかく長い間一緒に話して親しくなっても「写真は撮らないで」と言う人、そして、市場などで売られている物に対しても「金をくれなきゃ、撮ったらダメだ。」と冷たく言い放つ商売人が実に多いのだ。
 そもそもPignudoという町では、首長から直接、村での写真はもちろん市場の写真すら全て撮影禁止と言い渡された。「撮ってくれ」という人々の写真も、宿の従業員でさえ一切ダメだと言うのだ。(この町には難民キャンプがあり、特殊な事情があるのだが、それにしても驚いた。)

 こうした事情とは別に、写真に不慣れで、カメラを向けられた途端に固まってしまう人も多かった。(IDカード用の証明写真しか撮られたことがないのかもしれない。。。) しかも本当に1枚しか撮らせてくれなかったり・・・。

 今回の写真のほとんどは、相手にカメラをあまり意識させないようにノーファインダー(カメラのファインダーを覗かずに撮ること)で撮っている。細かい構図は決められないが、(カメラから顔を出して)相手と話しながら表情を追っかけて撮れるのが利点だ。(普段から、わりとノーファインダーでも撮るが、今回は尋常でなかった。)
 こうした状況なので、いつも以上に1枚1枚の重みを感じて撮影した。(フィルム撮影時には常にあったのかもしれない・・・。)


■病気などのトラブル
 エチオピア入りした翌日から2日かけてガンベラに到着。その日の夕方、いきなりグーで殴られた。精神異常者らしいが、ひと言ふた言の会話後に不意に顔面を強打され、鼻血ブーだ。警察沙汰にもなった。(数日間、鼻が痛かったが、幸い怪我はなかった。) 写真を撮るどころか、カメラを出す前のトラブルにまさに出鼻をくじかれた。

 エチオピア高原は朝晩は冷えるのだが、滞在したガンベラ州は低地で暑い。マラリアも多い。一般に地元の人も蚊帳の中で寝る。今回は節目節目で体調を崩し、エチオピア正教の行事(クリスマス、ティムカット祭)にはあまり触れられず、結果的にエチオピアにいるスーダン人の生活を見るのに専念することとなった。一般にアフリカにおいては、黒人と白人の間の褐色肌のアビシャン(エチオピア人)が特殊なのだろうが、私にとっては、エチオピアにいるナイル系の黒人たちの方が興味深かった。(順調に行けば、南部スーダンは今年7月に独立する。そうしたら「皆で踊って祝うよ」と言っていたヌエル人たち。すぐに帰国せずとも彼らの生活の大きな節目になることは間違いなさそうだ。)


■中流家庭
 最後に、一番に嬉しかったことは、7年前にお世話になった後(一度手紙を送ったきり)音信不通であった現地人の親友に再会できたことだ。(首都アジス・アベバ(Addis Ababa)で、当時の写真の風景と記憶を頼りに、彼の実家を再訪問できたのだ!) 首都に滞在した初日と最後にお世話になり、とくに帰国前にマラリアになっていた私の面倒をよく看てくれた。
 彼は、自動車整備工で1日12時間も働いて、月収はようやく5,000~6,000円。過労ぎみだが家族を養うために必要なのだそうだ。

 アジス・アベバでの中流階級の平均収入は3,000~4,000円程度。養育費がかかるため、一般に子供の数は1~2人が多いそうだ。単純労働者の月収は1,500円程度だ。安い食堂で1食70~100円。コカコーラ1瓶が約35円。一般市民は物価上昇についていくのが精一杯だと言っていた。一方、(地方では未だ殆どないが)自家用車(主に100~200万円の中古日本車)も目立つようになった。経済発展中のエチオピアでも貧富の差は広がっているようだ。



■日程
・ 12/22 - 1/21 エチオピア
(主な訪問都市:Addis Ababa,Gambela,Itang,Pignudo )






  
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この記事へのコメント
初めまして、レオンのママです。
訪問有難うございます。つまらんブログですが。

どんな境遇でも、人間はたくましいものですね。

写真の中の人々のお顔は輝いてます。

良い写真を、楽しみにしています。

どうぞ、お体をお大切に。危ない所にもいらっしゃるんでしょうから。
Posted by レオンママ at 2011.01.29 11:51 | 編集
>レオンのママさん

書き込み有難うございます。
そうですね、どこにでも生き生きとした人に出会えるものです。
また、覗きに来て下さい!
Posted by YokotsukaTomoaki at 2011.01.29 22:41 | 編集
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