旅だより~ 2010/3/27 Katcha Gorhi~キャンプ後の村

ペシャワール近郊にあり、かつてはアフガン難民で有名だったKatcha Gorhiキャンプ。私が昨年6月に訪問したときにはFATA(連邦直轄部族地域)Bajor管区からの国内避難民キャンプ(通称Bajory Camp)となっていた。それが今回再訪問すると、テントの群れがきれいに無くなっていて驚いた。

実は、今年の1月下旬にJalozaiキャンプに移ったそうで、現在は誰も住んでいない。Katcha Gorhiに隣接するRegilailma村の子供たちの遊ぶ姿を見かけるくらいだ。


片足立ちで互いに倒し合う遊びをする子供たち。


パシュトゥンの踊りを披露するShamar君(12歳)。

このRegilailma村は、かつてアフガン難民のうち帰還せずに残った人々が集まった村だそうだ。「故郷に仕事がある人は、帰ったのだが。仕方なくここに残った」と説明する人が目立った。

ジャララバード出身のAmin Khanさん(写真中央)。2000年に地雷で左足を失い、義足で生活している。村とキャンプ跡地との境で床屋・貸シャワー屋を営むが月収は3,000Rs(約2800円)にしかならない。街の物乞い程度だ。キャンプが去って多くの顧客を失ってしまった。

写真はAminさんの床屋にて。パキスタンでも良い職を得るのが難しいため、2人の息子Amir Khan君、14歳、写真左)とEjrat君(15歳)をイギリスや日本に行かせたいと語っていた。

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旅だより~ 2010/3/28 Jalozai難民キャンプ

Katcha Gorhiを訪れた翌日、JalozaiキャンプをLiaqat氏に案内してもらった。現在はFATA(直轄部族地域)Bajor管区からの避難民22,000家族が暮らしており、スワット地区からの避難民は帰還したそうだ。Katcha Gorhiをはじめ周辺の国内避難民キャンプは管理しやすいJalozaiに集約されつつある。(Katcha Gorhiの場合、近くにあるYAHAYATABAD(富裕層の多い地区)の治安を守るためだそうだ。)

2008年8月にCharmang市Shedashai村から避難して来たAbdul Ullahさんと息子・甥っ子たち。テント1張に家族6人で暮らす。隣は兄弟家族のテント。

現在、Bajor管区の人口の6割が避難民となっているそうだが、政府軍により治安が確保されつつあり、2、3ヶ月後には帰還できる見込みだそうだ。

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(詳細は後日掲載します)




旅だより~ 2010/4/1 「少年工」への手紙渡し


フレンドリーポストカード「少年工」のZiaullhaq(Ziaelhuq)君(12歳)とNaeem君(17歳)に手紙を手渡した(計3通)。前回訪問時は数いる少年工のうちの一人として撮り、特に彼らの氏名・年齢などは聞いていなかった。職場を去った少年工もいる中で彼らに再会できて安堵した。
1年足らずで驚くほど成長していた二人だが、写真と手紙を渡すと特にZiaullhaq君は無邪気に喜んだ。学校に通っていない彼にとって、日本という未知の国からの手紙は大いに驚いたようだった。


(手紙を書いてくれた方には本当にありがとうございました。手紙への返事を預かっているので帰国後に郵送します。)

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(詳細は後日掲載します)

2010/5/12 詳細記事を追加掲載


旅だより~ 2010/4/3 「微笑む男の子」への手紙渡し


フレンドリーポストカード「微笑む男の子」のAbbokir(アブボカール)君(6歳)に手紙を手渡した。やはり、昨年訪問時より随分と背が伸びた気がする。はじめは店の外で見かけたので、あの笑顔を見せてくれるまでは、本人だとは気付かなかったほどだ。(お兄ちゃんがいるのかなと思った。)
今は学校に通い始めていて、午後は父の店でお手伝い。まだ読み書きはできないが、ハート型の手紙と折り紙(孔雀)に喜んでくれた。

父Muhammadさんと一緒に返事を書くAbbokir君。

(手紙を書いてくれた方には本当にありがとうございました。手紙への返事を預かっているので帰国後に郵送します。)

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(詳細は後日掲載します)

2010/5/15 詳細記事を追加掲載


旅だより~ 2010/4/14 「青い服の少女」への手紙渡し


フレンドリーポストカード「青い服の少女」に手紙を手渡した(計3通)。彼女の名はKhastalala(ハスタララ)。7歳だそうだ。黄色い服で現れた彼女は、育ち盛りでかなり背も伸びたしふっくらしていた。もともと恥ずかしがり屋で、すぐに逃げてしまう。父親のMualimさん(写真左、自称60歳)をはじめ兄らも家族全員が読み書きができず、ウルドゥ語の手紙はレンガ工場のオーナーHamidさんが読み聞かせてくれた。(これには想定外で手紙の返事は書いてもらいませんでした。) 彼女はと言えば、訳も分からずキョトンとしていたのが正直な反応だった。


泥壁の家は3つの部屋があり、写真はKhastalalaが兄弟たちと寝ている部屋。土間にゴザを敷いてあるだけで家具は何もなかった。

アフガニスタンのクチ(遊牧民)だった父Mualimさんは、30年前(ソ連侵攻時)にジャララバードからパキスタンに避難してきた。全ての羊を失った彼は、レンガ造り職人としてここに住み着いたそうだ。

(手紙を書いてくれた方々には本当にありがとうございました。これらは彼女にとって生まれて初めての手紙となりました。)

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(詳細は後日掲載します)

2010/5/18 詳細記事を追加掲載



なお、フレンドリーポストカード還元金の5,000Rs(約5,300円)を彼女ら兄弟の居住環境の改善の目的で寄付をしました。(還元金は2010年4月現在5,650円)

関連記事「2010/4/14 還元金、約5300円分を寄付」

旅だより~ 2010/4/20 19日、ペシャワールでの自爆テロ事件

ペシャワール旧市街でもテロ事件が起きた。19日18:20、街の中心地Qissa Khwaniバザールにて、歩行者の自爆テロにより25人が死亡、40人以上の負傷者を出した。このバザールは過去2年で数回テロ事件が起きている目抜き通りだ。私も1日に何度も通る。特にこの時間帯はここでデザートを食べてながら寛ぐのが日課でであったが、幸いこの日は友人と会うために別の場所にいた。この日の午前11時にはペシャワール新市街の西外れPolice Public Schoolでも爆発テロが起き、子供2人が亡くなっている。

翌朝のQissa Khwaniバザール。店は全て閉まっている。(テロ直後ということもあるが、この事件で亡くなった宗教政党Jamaat Islamiの州のリーダーDost Muhammad氏に敬意を表して政府が3日間の営業自粛を発表したため、旧市街全体で閉めている店が多かった。)

この日は新聞を並べた屋台が目立ち、繁盛していた。

昨夜はテレビ中継をされていたテロ現場(写真中央)には見物人が群がる。梯子に登っている人は店の看板についた血痕を洗い流していた。

現場は掃除された後だったが、血生臭かった。写真右の青年は「電柱に肉片がこびりついている」等の生々しい情報を教えてくれた。

遺体の残骸(頭部、目の辺りだそうだ)に見入る人々。こうした実物を眼前にして初めて無差別テロの悲惨さを実感する。恐怖や憤りを感じる。こういう気持ち悪いモノも避けては通れないと思う。日本の新聞では国際面の片隅に1、2行の記事になったのかすら怪しいが、「25人死亡」という数字からでは痛みは想像できない。

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旅だよりはこれで終了です。気持ち良くなってもらいたい笑顔の写真は帰国(4/27)後に掲載していきます。