2008/8/23 Herero Day (外国人観光客)


午後、外国人と思われる白人観光客の一団が来た。彼らは歌い踊っているHerero女性たちに割り込み、「一緒に写真を撮って」と交替で記念撮影をしだした。かなり強引で彼女らは苦笑しながらも応じていた。白人の一人は私にも「良い思い出になるよ、君も一緒に撮ったら」と言ってきたが、できるだけ邪魔にならないように撮っていた私は不快だったので、「私の趣味じゃない」と断った。ふと、イベントのすぐ傍でウロウロして撮っている私自身も、大外で見ている多くの見物人の気分を害してはいないかと気になった。
(同時に、2003年にエチオピアのMurusi族の村を訪れたときのことを思い出した。車をシェアして同行した日本人バックパッカーが、「写るんです」でMurusiの一人と肩を組んで一枚パシャと自分撮りしてた。思い出づくりで良いネタになったと喜んでいる彼の姿が、何枚も同じようなMurusiの写真を撮り続けていた自分より純粋で楽しそうに思え、ある種の劣等感さえ感じたのだった。だが、よく考えると今回は違うと思い、すっきりした。)

2008/8/23 Herero Day (いけにえ)


儀式の生贄にするために、生きた山羊がその場で解体されていた。子供も平気で手伝っていたのは、さすが。



運命を知ってか知らぬか、順番待ちの山羊が大きく鳴いていた。

2008/8/23 Herero Day (Elthaと仲間たち)


イベントが始まるまで、地元のHereroであるElthaのところで座って過ごした。ジュースをもらったりお世話になった。Kabiha(写真左)はかなり酔っ払い、私も飲まされた。





Eltha。Hereroの女性は大柄であることが多い。いつも民族衣装を着ているそうだ。頭に被っている物はOtjikaevaと言い、とても特徴的。



ElthaはFatcakeという揚げパンを作って売っていた。Hereroの伝統食だそうで普通においしい。(同様なものは後に訪れるザンビアでもよく見かけた。)






Femris(Dr.Kamandoora)。とても博識でナミビアの歴史を説明してくれた。彼の案内でイベントを運営する人たちや酋長にも挨拶することができた。HimbaとHereroは基本的に同じ言語を話すので、Himba用にHereroの基本単語も聞いておいた。

2008/8/23 Herero Day (出会ったHereroたち)


Eva(写真左)はWindhoekから訪れているそうだ。(珍しくE-mailアドレスを持っていて、写真を郵送したらお礼の返事をメールでくれた。) 歌い踊るイベントに参加していたHereroは赤い服が多いが、他にも様々な色の服が見られた。



「撮ってくれ」と言ってきた青年。






Secilia。Femrisの通訳で撮ることができた。



元兵士のKapeotua氏。



Thomas。



会場入り口で肉の屋台を出していたAlbertina、18歳(?)。Utapiから去年Okahandjaに引っ越して来たそうで、HereroではなくWambo族だ。

2008/8/25 Opuwo入り

8/24、WindhoekからOpuwo(Himba族がいる町)を目指した。北方面へ行くには「Katutura Hospital からヒッチハイクできる」と聞き、そこまでTAXIで相乗り。中継地となる都市「Otjiwarongo」とノートに大きく書いて、ハイウェイ沿いでノートを掲げて車を停める。1時間くらいして「すぐそこに乗り場があるから」と白人系の地元人が親切に載せてくれた。わずか100m離れた場所で降ろされた。が、そこで金銭トラブル。ドライバーが急に脅迫ぎみに「20N$よこせ」って(20N$=20R=約370円)。明らかに高いので、言い争いになり、(ベルトにつなげていた)財布を引きちぎられそうになり、本気で殴るふりまでされた。恐かったが周りに現地人が多くいたので、強気でいられた。金額の多少に関わらず、外国人旅行者だからとボったくろうとするのが気に食わない。(サービスに対するチップや物乞いにあげるのなら気分が良いが。) 結局、次に乗る車のドライバーが代わりに払って治まった。
(彼に礼を述べ、少し多めに支払ってOtjiwarongoへ。2時間で到着。そこからOpuwoへは行く人が少なく、交通量も激減。2時間待って同乗者が集まり出発。Opuwo着は夜遅くになったが、一日でWindhoekから行けたのは予想外だった。公共交通が未発達のナミビアは不便だと聞いていたが、乗用車のヒッチハイクは少人数集まれば出発できるし、途中の乗り降りも少ない。バスよりも速く走れ、早く着けて便利だ。南アのミニバスでは、人が集まるのに3時間以上も車内で待つのが当たり前だったのだから。)




Opuwoは、幹線道路以外は未舗装の小さな町だ。裸族のHimba族が普通に歩いている。すれ違う彼女らに覚えた片言で挨拶し合うと、ちょっと感動。大勢のHimbaが一日中酒を飲んで騒いでいる広場Epupa(写真。水が集まる場所の意。)を訪れ、伝統の酒(Otombo)を飲まされりして、彼らとコミュニケーションをとった。(彼らを撮ると必ずモデル料を求められるので、初日は様子見でHimbaの写真は撮らなかった。)



Epupaで知り合ったBen(写真中央)の従兄妹の家の前にて。彼は英語が少し話せる。多くのHimba男は、子供以外は洋服を着ている。気の棒(杖?)を持ち歩くのは伝統だそうだ。



Benの従兄妹、Watuwiye。泥だらけで働いていた彼女は「今日は汚い服だから明日来て!」と言って、翌日8/26に撮った。基本的に写真は一人一枚しかあげないのだが、「どうしても!」とわざわざ着替えてきた彼女には特別に全身とアップを2枚あげた。



Ben、18歳。クリスチャンで酒もタバコもしない。



Watuwiye。(8/26撮影)

2008/8/26 Himba家族(1)

Himba族目当ての観光客は、宿のあるOpuwoを拠点にさらに奥地のHimbaの村へガイド同行で行く。その様子はインターネットで紹介されており、いずれも、決まった村へ連れて行かれ暮らしぶりを見ながらガイドの説明を受け、写真を撮って最後はアクセサリー等の土産を買う、というものだった。私はそれでは面白くない。難しいことを聞き出す場合を除いてガイドは不要だ。動きにくくなるだけだし、何より、相手と私の信頼関係が作りにくくなる(単に相手とガイドの関係ができるだけ)。私には車もないので歩ける範囲で探し、結局、Opuwoの町外れのOtuzemba村(村というか居住区?)へ一人で毎日通うことになる。



Otuzemba村へ行くと、Himbaだらけ。こちらには無関心。道路に近い家の前でHimba女性たちが集まっていたので、思い切って挨拶して近づいてみる。その後、一緒に座ってメモを見ながら片言で質問する。彼女たちの名前や年齢、家族構成など・・・。写真はKaihitirue、16歳で妊婦。私を一番理解してくれたと思う。



そもそも彼女らはこちらに興味がない。疎ましく思う人もいるだろうし、「金くれ」ってジェスチャーする奴もいる。それでも居座り続ける。言葉が通じないのは絵を描いて示した。誰かが屁をしたのを「くさ~い」ってノートで扇ぐジェスチャーしたら、大爆笑してくれ、徐々に打ち解けてきた。写真は同じくKaihitirue。



夕方になって、ようやくカメラを出してまだ残っていた数人を撮った。写真はKamungambue、18歳。Kaihitirueの従姉妹。一児の母でちょっと気が強い。
(Himba族の間では、観光客が写真を撮る=モデル料を払う、という暗黙のルールがある。翌朝Epupaで彼女らの写真を見せていたら、Himbaの酋長に問いただされた。モデル料なしで彼女らは快く撮られ、この写真をプレゼントすることを説明すると、酋長も素晴らしいことだ理解してくれた。)

2008/8/27 Himba家族(2)


翌日、前日撮った写真を渡したら喜んでくれ、さらに「撮ってくれ」と言われた。一般的にHimba女性は美意識が高く、写真も好きなようだ。特にKamungambueは撮られるのが好きで、家具などは一切ない狭い家にも、数枚の家族写真を持っていた。写真左からKamukayi(14歳)、Kamungambue、Nganue(1歳)、Kaihitirue。同じ家に住んでいる。






Himbaの肌が赤いのは、日差しや虫から護るためにファットというバターと赤粘土を混ぜたものを体中に塗っているからだ。彼女らは一生風呂に入らないそうだ。(体に触れれば赤い色が付く。私の服やノートも日に日に赤くなっていった・・・。) KamungambueとKamukayiは姉弟。